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カテゴリ:森羅万象( 18 )
野生メダカの絶滅を回避するには
人間の記憶は頼りないものだが、ある種の客観的記録に繋がれば、過去のデータが蘇る。何時頃からメダカを飼い始めたか直接的な記憶はない。しかしこの花器を購入したのが京都五条坂「陶器まつり」の最終日、8月10日であったことは憶えている。だからおそらく8月15日ごろ、ちょうど3ヶ月前ということになる。それでは何故メダカを飼うことになったのか、追憶の連鎖が蘇ってきたようだ。かねがね私は小さな水棲動物を飼いたいと思っていた。それはコンラート・ローレンツの『ソロモンの指環』の影響を受けたものだ。ローレンツは「被害をあたえぬもの――アクアリウム」の項で水槽で小さな魚を飼うことを奨めている。「アクアリウムは一つの世界である。なぜならそこでは、自然の池や湖とおなじく、いや結局はこの全地球上におけるのとおなじく、動物と植物が一つの生物学な平衡のもとで生活しているからである」と彼は説いている。
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ただしそれには水網で池の水草のあたりを掬い、生き物を捕まえる必要がある。おそらく簡単なことなのだろうけど、何となくこの作業に取り掛かる機会がなかった。やはり横着ものなのだろう。ところが偶然通りかかったショッピングセンターの熱帯魚ショップの水槽の中をメダカが泳いでいたのである。そういえば金魚を飼ったことがあるし、これなら面倒をみることができるに違いない。そしてこれが「陶器まつり」で花器を入手することに繋がるのだが、いわば開高健『私の釣魚大全』の中の洒脱な遊び「タナゴはルーペで釣るものであること」に通ずることなってしまった。ローレンツのアクアリウムとは程遠い、極めて人工的で矮小ともいえる世界、ヒメダカ(緋目高)がわが友になったのである。これは絶滅が心配されているニホンメダカとは違い、あくまで鑑賞用である。子どもの頃の私にとって、野生のメダカは近所の小川や田んぼに生息するありふれた淡水魚だった。なぜこれが絶滅危惧種になったのだろうか。

b0148967_435278.jpg野生動物と共存できるか―保全生態学入門 (岩波ジュニア新書)
高槻成紀(著)
# 新書: 209ページ
# 出版社: 岩波書店 (2006/06)
# ISBN-10: 4005005365
# ISBN-13: 978-4005005369
# 発売日: 2006/06

本書はいま世間を騒がせているクマなど、野生動物と人間がいかに共存できるかをテーマにした「保全生態学」の入門書である。その冒頭が「生物が消えていく――メダカ」で、なぜ絶滅危惧種になったか解説している。かつて田んぼは用水路で水を引いていた。その用水路は田んぼとほぼ同じ高さにあり、微妙な高さの違いで水の入口と出口があり、秋になっても用水路に水が残り、くぼみが「魚だまり」となって魚が生きていた。ところが1960年代から始まった農業基本整備事業によって、様相が一変し始めたという。田んぼの水が管理しやすいように、用水路がコンクリートのU字管になり、魚が隠れるところはなくなり、カエルが卵を産むところもなくなってしまった。さらに農作業の効率を上げるため、田んぼの地中に管を埋める「暗渠(あんきょ)排水」が導入され、メダカに代表される無数の小さな生き物たちが姿を消してしまったのだという。

生物多様性の急速な損失が世界的規模で進んでいるが、日本もその例外ではない。メダカ生息へのレッドシグナルはどうやらその典型といえそうだ。数ある絶滅の原因の中で、生息地がなくなることが最も深刻だと著者は指摘している。だからこそ、生物の保全には生態学が重要だと説く。ではその生態学の考え方とはどういうものだろうか。端的に結論すれば、生物学が生物の体の中のことを研究するのに対し、生態学は生物の体の外の現象を調べることのようだ。つまり生物の個体が周囲とどのような関係を持って生きているかを研究することだという。メダカの絶滅危惧を考えるとき、メダカだけを取り出してその生理学や形態学を研究するのではなく、生息環境の変容との関わりを調べるのが肝要だという。野生動物の保全に生態学が威力を発揮するのはこのためであると。著者は兵庫県のコウノトリ復活計画は素晴らしいという。つまりコウノトリを回復するために、コウノトリそのものではなく、その生息地を含む生態系全体を復活させなくてはならない、ということをはっきり見定めている点が評価の最大理由のようだ。野生メダカの絶滅を回避するには、この国の農業を取りまく環境のあり方を再考するという困難な壁が立ちはだかっているようだ。

by twin_lens | 2010-11-15 12:00 | 森羅万象
花の蜜吸う蝶のキャンディッド
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オオスカシバ(大透翅)
京都・銀閣寺道(2003年9月23日)
Nikon CoolPix5700

鳥黙虫魚、森羅万象におよそ縁がなかった私が、昆虫の写真を初めて撮ったのは2003年のことだった。この年の夏、私はニコンのコンパクトデジタルCoolPix5700を購入した。ご存知、この手のカメラにはマクロ機能がついている。そのテストのつもりで、京都府立植物園に出かけた。花のクローズアップを撮っていたら、アゲハチョウがやって来たので、シャッターを押したら飛翔中の写真が撮れた。よく考えてみれば、花にレンズを向けていれば、吸蜜性の昆虫は簡単に撮れる。ただそれだけなのだが、何となく新鮮な気持ちになり、晩秋まで機会があれば昆虫を狙うことになった。写真は道路沿いの花壇に咲くコスモスの間を飛翔するオオスカシバである。決してAFの応答が良いカメラとはいえないが、花にではなく、目的の昆虫にピントがあっている。これはワザでもなんでもなく、カメラが勝手に捕まえてくれたのである。これに味をしめたわけではないが、一瞬、本格的ネイチャー写真を撮ろうかと思ったが、すぐに頓挫した。やはりストリート写真のほうが肌に合うからだろう。
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アゲハチョウ(揚羽蝶)
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ツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)
京都府立植物園
NikonD40 MicroNikkor105mmF2.8

さて本日、長く続いた酷暑も一段落した様子なので、府立植物園に出かけた。今夏の天候異変でどうかなと危惧はしたものの、たぶん今ごろなら蝶がいるかもしれないという勘も働いたからだ。案の定と言うべきか、すぐにツマグロヒョウモンとアゲハチョウに遭遇した。ところが持参した機材がマズかった。マクロレンズはフィルムカメラ時代に購入したものだが、ボディはニコンの超エントリー機、この組み合わせではAFが作動しないのである。仕方なくMFで撮ったが、飛翔写真は諦めることにした。このような場合に備え、MicroNikkor70~180mmを購入しておけば良かったと思う。すでに製造中止になってしまったが、ズームマクロがやはり欲しい。ニコンの現行製品ではズームはなく、単焦点、しかも60mmと短い。しかしズームマクロを作らないのは、何らかの理由があるに違いない。ところで前に触れたような気がするが、動植物の名前はカタカナ表記する人が多いし、私も倣っている。だが揚羽蝶や褄黒豹紋という漢字表記には捨て難いものがある。

by twin_lens | 2010-09-17 21:28 | 森羅万象
ややこしい菖蒲のお話
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近所の平野神社境内の独逸菖蒲(ジャーマンアイリス)が満開である。菖蒲というと「何れ菖蒲か杜若」(いずれあやめかかきつばた)という言葉がよく引き合いに出される。同じアヤメ科の花で似ているため、区別を付けにくいということに由来する。そう言えばアヤメもショウブも漢字は同じであるからややこしい。ショウブはサトイモ科で、アヤメとは全く違う植物だから尚更ややこしい。だからアヤメを花菖蒲と呼べば少し分かり易くなるようだ。とは言え実は簡単に片付けられない。上の写真はアヤメに良く似ているが、別物の鳶尾(いちはつ)で、外花被片の中央部に突起があるのが特長だという。更に以下の写真が独逸菖蒲だが、ややこしさが続く。
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京都市北区 平野神社
NikonD700 MicroNikkor105mmF2.8

境内にある説明木札には「独逸菖蒲は鳶尾が明治期に品種改良されて日本に里帰りした花です」とある。菖蒲の名がついているが、花菖蒲とは違うという。しかも別の外来種である阿蘭陀菖蒲(ダッチアイリス)は球根だが、独逸菖蒲は根茎で葉も花も大きくて花色も豊富だという。そういえば花菖蒲は紫あるいは白だが、境内の独逸菖蒲は色とりどりである。ここまで書いて気づいたのだが、なまじ漢字表記したのがややこしさを増す原因のようだ。アヤメ科の植物をカタカナ表記してみよう。ジャーマンアイリス、ダッチアイリス、ハナショウブ、イキシア、イチハツ、クロッカス、ニワゼキショウ、ヒオウギアヤメ、ヒオウギスイセン、フリージア。うーん、私には見わけがつかない。ますます混乱してきたようだ。
by twin_lens | 2010-05-02 20:01 | 森羅万象
百花繚乱ゾーンプレート写真
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ソメイヨシノ  loupe 拡大表示
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ラッパスイセン  loupe 拡大表示
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アネモネ  loupe 拡大表示
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ボケ  loupe 拡大表示
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アイスランドポピー  loupe 拡大表示
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チューリップ  loupe 拡大表示
京都府立植物園
Nikon D40 + Zoneplate

大判木製暗箱デアドルフ8x10カメラの撮影素材を求め、桜が満開の植物園へ。フルフレーム撮像素子のニコンD700の他に、ゾーンプレートを装着したエントリー機D40を携行、久しぶりに撮ってみた。ゾーンプレート特有のハイライトの滲みが念頭にあったせいか、知らぬうちに白っぽい花に視線が向いてしまったようだ。
by twin_lens | 2010-04-05 18:33 | 森羅万象
初春の京都平野神社博物誌
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菜の花  loupe 拡大表示
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諸葛菜  loupe 拡大表示
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河津桜  loupe 拡大表示

京都市北区平野宮本町 平野神社
NikonD700 MicroNikkor105mmF2.8

三寒四温、一日ごとの寒暖の振幅が大きい。桜苑を散策していたら黄色い花を見付けた。春の風物詩、菜の花である。一面には程遠く、僅か一株だが、くすんだ冬景色の終焉を告げてるようだ。紫色の花は諸葛菜、しょかっさいと読む。三国志の諸葛孔明(しょかつこうめい)が出陣先でこの種子を撒き、食糧となるよう栽培したことからこの名がついたという。別名紫花菜(むらさきはなな)、菜の花と同じ油菜(あぶらな)科である。大鳥居横の石垣の上の河津桜も満開。一重の枝垂れ桜、魁(さきがけ)が開花すれば本格的なお花見シーズンがスタートする。
by twin_lens | 2010-03-13 16:18 | 森羅万象
京都栂尾高山寺冬景色
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京都市右京区梅ヶ畑栂尾町
NikonD700 Nikkor28-70mmF2.8

鳥羽僧正作という伝聞がある「鳥獣人間戯画」で知られる高山寺に出かけた。寺院がある周山街道沿いの栂尾まで行く、JRバスの停留所が自宅近くにある。この春、デアドルフ8x10大判カメラによる撮影を再開さいようと思っているのだが、いわばその為のロケハンだった。私は自家用車を所有していない。だから公共交通機関で行きやすい場所が撮影のターゲットになっているのである。写真は国宝「石水院」の佇まい、ここから眺めた冬の木立、そして境内中にある石垣を撮ったもものである。参道および境内の坂がきついので、大きなカメラを持ち込むのはちょっと無理そうだという感触を得た。
by twin_lens | 2010-02-22 15:50 | 森羅万象
朽ち果てた草花は死のイメージだが
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枯れた野菊 京都市北区平野宮北町 2010年1月27日

フォトジャーナリズムに関わってきたせいだろうか、スタッフカメラマンであった頃はネイチャー写真、特に草花を撮った記憶は余りない。一度、自宅の暗室に生花を吊るし、ドライフラワーになるまでを撮ったことがある。花は死を予感する。だから日本人は散りゆく桜を愛でる。そういった心情を踏まえながら枯れ死する花を撮ったわけだが、いわばコンセプチュアルアートで、理念先行であったことは否めない。昨日、近所の路上で枯れた野菊を撮った。
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枯れた牡丹 京都府立植物園 2009年12月22日

これもまた朽ち逝く花の姿である。我ながら何故このようにわざわざ汚い花の姿を撮ろうするのか不思議である。水仙のように真冬に花開く種もあるが、多くの草花は秋から冬に向かって、枯れ落ちる。それはすなわち死の姿を幻視することなのだが、前述の桜の落花とは違うような気がする。つまり散り逝く桜には潔さがある。しかるに野菊や牡丹には、その姿に生への執着を感ぜざるを得ない。では落ち葉はどうだろう。
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切り株と落ち葉 京都市北区平野神社 2009年12月23日

京都・平野神社は桜の名所として名高い。秋から初春にかけて、このように桜の落ち葉が散乱したまま放置されている。このような有機物が地表部に堆積し、それを資源として利用するバクテリアなどの微生物や土壌動物により分解されて腐葉土になる。いわば死の遺産を生への活力として受け継ぐのである。私は造園あるいは園芸といったことには疎い。しかしこのような自然のサイクルには感動せざるを得ない。人間の営みもまたこのようにして、円環状に受け継がれてゆくのだろう。
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雨に濡れた水仙 京都市北区平野宮北町 2010年1月28日

ここまで書いて自分がいささかメランコリックになっているのではと気付いた。春はもうすぐそこに来ている。しかい視界の中の草花たちは、その多くが色彩を失ったままだ。そんな真冬の寒風に耐えている花が水仙である。学名のNarcissusは「ナルシスト」の語源だそうだ。水仙を見ると私はワーズワースの詩を思い出すが、冬景色の中で生彩を放つその姿はやはり美しいと思う。今日は雨模様、家を出て道路を挟んだ所に咲く水仙を撮ってみた。朽ち果てた草花ばかりでは滅入りそうなので添えておこう。

写真はいずれも
NikonD40 MicroNikkor105mmF2.8 Nikkor18-55mm F3.5-4.6
by twin_lens | 2010-01-28 15:57 | 森羅万象
冬至:寒気が緩んだ隙に植物園
東京に住んでいた頃は新宿御苑や明治神宮御苑によく出かけた。京都に移住してからは、京都御苑(御所)や府立植物園に足を向けるようになった。いわば人工的な緑の空間だが、街中に住んでる人間にとっては有難い存在だ。京都は狭いのでバスで簡単に行けるのが良い。冬至の今日、やや寒気が緩んだ隙に植物園に出かけてみた。
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ナルキッスス・カンタブリクス
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枯れ行くボタン
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アオサギ
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ネリネの一種

いずれも12月22日 京都府立植物園
Nikon D40 MicroNikkor105mmF2.8

地下鉄を降りて、北山門から入った。流石にこの季節、草花は少ないが、ビオラなどの小さな花が揺れていた。ラッパ型の白い花を見つけたので、カメラのシャッターを押す。ナルキッスス・カンタブリクスと説明板にあったが、スイセンの一種である。しかしこれがヒガンバナの仲間であることは知らなかった。落葉した高木メタセコイアを通り過ぎ、宿根草有用植物園に出る。ここも花は少なく、コダチダリヤを支えていた鉄パイプは解体されている。菰に囲まれたボタンはとっくに見頃を過ぎたようだったが、枯れ行く姿をカメラに収めた。ながらぎの森の南東側にある池に出ると、大きな望遠レンズを持った人たちに出会った。しばらく観察していると、イロハモミジの枝にカワセミがとまった。

みなさんこれを狙っているようだ。私も撮ろうと思ったが、200ミリのレンズでは豆粒にしか写らない。諦めて、ふと視線を下に落とすと、アオサギが目にとまった。ごく間近で、105ミリのレンズでも画面いっぱいである。ちょっと気になったので有用植物園に戻ることにした。温室ではないが、ガラス張りの小屋の中を見落としたからだ。赤紫の二輪にネリネ属の一種と言う説明があった。形だけでヒガンバナの仲間であることがすぐに分かった。しかし花弁の状態からすでにピークを過ぎたことが伺える。でも折角だから撮ることにした。F14(変な絞り値だ)にしたが、これでもフォーカスが浅い。花の撮影は難しい。
by twin_lens | 2009-12-22 20:17 | 森羅万象
初冬の京都平野神社博物誌
ちょうど四年前に西陣から平野神社近くに引っ越した。それこそ北野天満宮に初詣した後、寄ったことが何度かある。こじんまりした神社だが、戦前の「近代社格制度」では天満宮より位が高かったと何かの本で読んだ記憶がある。桜の名所として名高く、ここの桜苑には、円山公園大枝垂桜の初代が余生を送っている。しかし桜ばかりではなく、四季折々草花を楽しめることは案外知られてないようだ。どんより曇った午後、カメラ片手に散策してみた。
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寒桜
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野菊
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上臈蜘蛛
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彼岸花?
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小手鞠
いずれも2009年12月10日 京都・平野神社
Nikon D40 MicroNikkor105mmF2.8

彼岸花?と疑問符を打った花は、宮司の話によればゴールデン・リリーとのことだが、勘違いだと思う。リコリス・アフリカーナ(Lycoris africana)の写真を見ると、明らかに違うからだ。リコリス・オーレア(Lycoris aurea)の亜種とも想像されるが、やはり正式名称は不明である。いずれにしても人の手が加わった園芸種であることは間違いないと思う。この神社のもうひとつの名物であるムラサキシキブ(Callicarpa japonica)の実は、その名の通り初秋に紫の実をつけるが、今は情けないくらい黒ずんでいる。

紅葉、落ち葉の季節も去り、自然は次第に色彩を失いつつある。そういう意味では、赤紫の彼岸花もどきが、境内ではひと際目立つのである。目立つと言えば、桜の枝に巣を張ったジョロウグモ(Nephila clavata)を見つけた。鮮やかな色彩を持っているため、遊女を意味する女郎を冠することが多いが、上臈(ジョウロウ)のほうが正しいかもしれない。身分の高い女官を意味するが、これはそれこそ京都嶋原の太夫に対する誤解に通ずるものがありそうだ。
by twin_lens | 2009-12-10 17:55 | 森羅万象
レンズさえしっかりしていればそれなりに写るものだ
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チュウサギ
学名:Ardea intermedia 英名:Intermediate Egret
Nikon D40 NikkorVR70-200mmF2.8

ふと思いついて鴨川を歩いてみた。北大路橋からぶらぶら、最終地点は四条大橋だった。目的はバードウォッチングで、装備を軽くするため、最近よく使っていたNikonD700をやめ、小型軽量のD40を携行した。無論、三脚はなしで、その代わり70~200mmのズームレンズを念のため肩からぶら下げた。D40 はニコン直販でもレンズキットが35000円弱だったので、実勢価格は非常に安かったと記憶している。さて野鳥だが、四条大橋の下流でチュウサギを撮ることにした。実は2年半前、同じ場所でコサギを撮った。下の写真がそれだが、レスポンスの悪いコンパクトデジカメにしては上出来と思っている。
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コサギ
学名:Egretta garzetta 英名:Little Egret
Nikon CoolPix5700

このコサギは川の段差の所で落ちてくる小魚を狙っていたものである。この写真のイメージが強かったので、チュウサギが何か行動を起こすのを待ってみた。しかしなかなか演技をしてくれない。川の中ほどから岸に近づいてきたところを収め、撮影はやめてしまった。動きのない写真だが、それなりに綺麗に写ってると思う。写真下部を少し切ったほうが収まりが良さそうだが、ノートリミングのまま掲載する。連写速度性能とか考えなければ、このような安価なボディでも、レンズさえしっかりしていれば写るものである。ふとデジスコを導入しようかという思いが脳裡をかすめたが、すぐに振り払った。これ以上機材を増やすと収拾がつかなくなる。
by twin_lens | 2009-12-06 23:45 | 森羅万象