カテゴリ:森羅万象( 22 )
野生メダカの絶滅を回避するには
人間の記憶は頼りないものだが、ある種の客観的記録に繋がれば、過去のデータが蘇る。何時頃からメダカを飼い始めたか直接的な記憶はない。しかしこの花器を購入したのが京都五条坂「陶器まつり」の最終日、8月10日であったことは憶えている。だからおそらく8月15日ごろ、ちょうど3ヶ月前ということになる。それでは何故メダカを飼うことになったのか、追憶の連鎖が蘇ってきたようだ。かねがね私は小さな水棲動物を飼いたいと思っていた。それはコンラート・ローレンツの『ソロモンの指環』の影響を受けたものだ。ローレンツは「被害をあたえぬもの――アクアリウム」の項で水槽で小さな魚を飼うことを奨めている。「アクアリウムは一つの世界である。なぜならそこでは、自然の池や湖とおなじく、いや結局はこの全地球上におけるのとおなじく、動物と植物が一つの生物学な平衡のもとで生活しているからである」と彼は説いている。
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ただしそれには水網で池の水草のあたりを掬い、生き物を捕まえる必要がある。おそらく簡単なことなのだろうけど、何となくこの作業に取り掛かる機会がなかった。やはり横着ものなのだろう。ところが偶然通りかかったショッピングセンターの熱帯魚ショップの水槽の中をメダカが泳いでいたのである。そういえば金魚を飼ったことがあるし、これなら面倒をみることができるに違いない。そしてこれが「陶器まつり」で花器を入手することに繋がるのだが、いわば開高健『私の釣魚大全』の中の洒脱な遊び「タナゴはルーペで釣るものであること」に通ずることなってしまった。ローレンツのアクアリウムとは程遠い、極めて人工的で矮小ともいえる世界、ヒメダカ(緋目高)がわが友になったのである。これは絶滅が心配されているニホンメダカとは違い、あくまで鑑賞用である。子どもの頃の私にとって、野生のメダカは近所の小川や田んぼに生息するありふれた淡水魚だった。なぜこれが絶滅危惧種になったのだろうか。

b0148967_435278.jpg野生動物と共存できるか―保全生態学入門 (岩波ジュニア新書)
高槻成紀(著)
# 新書: 209ページ
# 出版社: 岩波書店 (2006/06)
# ISBN-10: 4005005365
# ISBN-13: 978-4005005369
# 発売日: 2006/06

本書はいま世間を騒がせているクマなど、野生動物と人間がいかに共存できるかをテーマにした「保全生態学」の入門書である。その冒頭が「生物が消えていく――メダカ」で、なぜ絶滅危惧種になったか解説している。かつて田んぼは用水路で水を引いていた。その用水路は田んぼとほぼ同じ高さにあり、微妙な高さの違いで水の入口と出口があり、秋になっても用水路に水が残り、くぼみが「魚だまり」となって魚が生きていた。ところが1960年代から始まった農業基本整備事業によって、様相が一変し始めたという。田んぼの水が管理しやすいように、用水路がコンクリートのU字管になり、魚が隠れるところはなくなり、カエルが卵を産むところもなくなってしまった。さらに農作業の効率を上げるため、田んぼの地中に管を埋める「暗渠(あんきょ)排水」が導入され、メダカに代表される無数の小さな生き物たちが姿を消してしまったのだという。

生物多様性の急速な損失が世界的規模で進んでいるが、日本もその例外ではない。メダカ生息へのレッドシグナルはどうやらその典型といえそうだ。数ある絶滅の原因の中で、生息地がなくなることが最も深刻だと著者は指摘している。だからこそ、生物の保全には生態学が重要だと説く。ではその生態学の考え方とはどういうものだろうか。端的に結論すれば、生物学が生物の体の中のことを研究するのに対し、生態学は生物の体の外の現象を調べることのようだ。つまり生物の個体が周囲とどのような関係を持って生きているかを研究することだという。メダカの絶滅危惧を考えるとき、メダカだけを取り出してその生理学や形態学を研究するのではなく、生息環境の変容との関わりを調べるのが肝要だという。野生動物の保全に生態学が威力を発揮するのはこのためであると。著者は兵庫県のコウノトリ復活計画は素晴らしいという。つまりコウノトリを回復するために、コウノトリそのものではなく、その生息地を含む生態系全体を復活させなくてはならない、ということをはっきり見定めている点が評価の最大理由のようだ。野生メダカの絶滅を回避するには、この国の農業を取りまく環境のあり方を再考するという困難な壁が立ちはだかっているようだ。

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by twin_lens | 2010-11-15 12:00 | 森羅万象
花の蜜吸う蝶のキャンディッド
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オオスカシバ(大透翅)
京都・銀閣寺道(2003年9月23日)
Nikon CoolPix5700

鳥黙虫魚、森羅万象におよそ縁がなかった私が、昆虫の写真を初めて撮ったのは2003年のことだった。この年の夏、私はニコンのコンパクトデジタルCoolPix5700を購入した。ご存知、この手のカメラにはマクロ機能がついている。そのテストのつもりで、京都府立植物園に出かけた。花のクローズアップを撮っていたら、アゲハチョウがやって来たので、シャッターを押したら飛翔中の写真が撮れた。よく考えてみれば、花にレンズを向けていれば、吸蜜性の昆虫は簡単に撮れる。ただそれだけなのだが、何となく新鮮な気持ちになり、晩秋まで機会があれば昆虫を狙うことになった。写真は道路沿いの花壇に咲くコスモスの間を飛翔するオオスカシバである。決してAFの応答が良いカメラとはいえないが、花にではなく、目的の昆虫にピントがあっている。これはワザでもなんでもなく、カメラが勝手に捕まえてくれたのである。これに味をしめたわけではないが、一瞬、本格的ネイチャー写真を撮ろうかと思ったが、すぐに頓挫した。やはりストリート写真のほうが肌に合うからだろう。
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アゲハチョウ(揚羽蝶)
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ツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)
京都府立植物園
NikonD40 MicroNikkor105mmF2.8

さて本日、長く続いた酷暑も一段落した様子なので、府立植物園に出かけた。今夏の天候異変でどうかなと危惧はしたものの、たぶん今ごろなら蝶がいるかもしれないという勘も働いたからだ。案の定と言うべきか、すぐにツマグロヒョウモンとアゲハチョウに遭遇した。ところが持参した機材がマズかった。マクロレンズはフィルムカメラ時代に購入したものだが、ボディはニコンの超エントリー機、この組み合わせではAFが作動しないのである。仕方なくMFで撮ったが、飛翔写真は諦めることにした。このような場合に備え、MicroNikkor70~180mmを購入しておけば良かったと思う。すでに製造中止になってしまったが、ズームマクロがやはり欲しい。ニコンの現行製品ではズームはなく、単焦点、しかも60mmと短い。しかしズームマクロを作らないのは、何らかの理由があるに違いない。ところで前に触れたような気がするが、動植物の名前はカタカナ表記する人が多いし、私も倣っている。だが揚羽蝶や褄黒豹紋という漢字表記には捨て難いものがある。

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by twin_lens | 2010-09-17 21:28 | 森羅万象
動物の権利と動物園のあり方
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京都市動物園(京都市左京区岡崎公園)
Nikon D40 Nikkor18-55mm F3.5-4.6

初めて上野動物園に行ったのは、小学生のときで、写真が残っている。しかし一体何を見たか記憶にない。イメージとして「お猿の電車」が浮かぶが、あとで刷りこまれたものだろう。大人になってからは動物園とは縁遠くなったが、子どもが生まれてからは何度か足を運んだ。その成長と共に再び縁遠くなったが、パンダなど稀に雑誌の取材撮影で再訪することもあった。昨、日曜日。岡崎公園の動物園を訪ねてみた。好天だったせいか、家族連れで満員状態だった。この動物園は京都の「町衆」の手によって明治36(1903)年4月に開園した全国で2番目の歴史ある施設だという。京都大学と野生動物の保全と共生に向けた「野生動物保全に関する教育及び研究の連携に関する協定書」を締結している。ゴリラなど希少動物の繁殖や動物を通した教育に取り組んで来たという。その主旨はよく理解できる。ゴリラ舎は以前より改善され、草木がたくさん植えられている。しかし建物自体はあくまで人工のものであり、アフリカの密林ではない。象の展示スペースに至っては、相変わらずコンプリート固めで、これまたアジアの森林とは程遠い。努力は評価したいが、どこか釈然としないものが残るのは、私だけだろうか。動物の権利(アニマルライツ)を主張する書籍に触れてみた。

b0148967_10313067.jpg動物の権利
ピーター・シンガー(編) 戸田清 (訳)
# 単行本: 374ページ
# 出版社: 技術と人間
# SBN-10: 4764500531
# ISBN-13: 978-4764500532
# 発売日: 1986/09

属する種が違うからといって、違った扱いをすべきではないと主張する、オーストラリア出身の哲学者、倫理学者でプリンストン大学のピーター・シンガー教授が編纂した本書は、新しい動物解放運動の魁といえるだろう。15人の寄稿者のうちのひとり、コロラド大学のデール・ジャミーソン教授は「動物園反対論」を唱えている。動物園とは何か? 筆者はレクリエーションあるいは教育を目的とした動物を展示する公園に過ぎないと定義している。ところが多くの動物園長は、娯楽の提供であることを否定するという。いわば囚われの動物たちは、必要悪であるという発想である。では教育に関してはどうか。だったらフィルムやスライドで十分であり、檻の中の動物を見せることではない。さらに動物園で行われている研究だが、不自然な環境で飼われてる動物を研究することによって、学べるものは何もないという主張を展開している。また絶滅の危機に瀕した種の保護に関しては、例えばマウンテンゴリラの2、3頭を閉じ込めていくことが本当に良いことかと疑義を呈している。絶滅の危機に瀕している種の保護によって現行の動物園システムの存在理由を正当化できないというのだ。動物園は自然界における人類の位置について、間違ったことを教えていると結論している。アメリカの動物園を巡り歩いた、川端裕人氏の著書を続けて読んでみた。

b0148967_10321533.jpg動物園にできること
川端裕人(著)
# 文庫: 346ページ
# 出版社: 文藝春秋 (2006/3/10)
# ISBN-10: 4167662035
# ISBN-13: 978-4167662035
# 発売日: 2006/3/10

ネット通販アマゾンのカスタマーレビューによると、1999年に単行本が出版された後、動物園水族館関係者の間では「バイブル」とまで言われ、古書店で8000円の高値を付けられたこともあったらしいという。その意味では文庫版復刻は有難い。それはともかく、動物園関係者が、いわば門外漢が著したルポルタージュに何故瞠目したのだろうか。要するに動物園のあり方に対し、旧態然、関係者が何ら顧みなかったという証かもしれない。著者はアメリカの動物園を回り、そのあり方に対し複雑な感情を抱きながら、いわば試行錯誤を重ねながら本書を記述したようだ。驚くことに日本の公立動物園の園長は官僚に過ぎなく、動物に関して深い造詣を持っているわけではないようだ。動物園にいる専門家は獣医だけの所が多いという。アメリカでは、上記デール・ジャミーソン教授も触れているが、絶滅危惧種の保護、そしてそれらを野生に返す作業をしているという。その成功例も報告されているが、その一方では、所詮動物を展示する娯楽施設に過ぎないという見方は拭えないようだ。著者の根本理念は「動物園は正当化できないか」という命題に掛ってるようだ。動物園は「多くの誠実な努力と少々の嘘。未知数の益と未知数の害。多くの動物を苦しめるかのしれないが、多くの動物を救うかもしれない。多くの人々を不愉快にさせるかもしれないが、生態系のために戦う戦士を生み出すこともある。人々に何も与えないかもしれないが、多くを学ぶ人もいる。可能性に満ちているが、きわめて両義的な場所」と結論している。
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ンゴロンゴロ自然保護区(タンザニア)  loupe 拡大表示
NikonF4 Nikkor200mm Kodachrome64

b0148967_1530366.jpgアンボセリ国立公園(ケニア)
NikonF4 Nikkor200mm Kodachrome64

京都市動物園の象をしばらく見ていると、コンクリートの舞台の同じコースを堂々巡りしているのに気づく。狭い檻の中のライオンやトラもそうだったが、行ったり来たりの連続は、ひょっとしたらイライラしているのではと思う。私はかつてケニアとタンザニアの動物保護公園を巡る旅をしたという恵まれた経験を持っている。これら東アフリカの公園が、真に「自然」かどうか、その点に迫る知識を私は持っていない。しかし、少なくとも動物園の動物よりのびのびと暮らしているという印象を持っている。長い首のキリンに歓声を上げていた幼き我が子を思い出すと、動物園って楽しくていいな、と思う。でも、きっとアフリカに連れて行ったなら、もっと感動したに違いない。しかし誰もができることではない。
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by twin_lens | 2010-05-31 16:53 | 森羅万象
タンポポの綿毛の建築学
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京都市北区平野宮本町 平野神社  loupe 拡大表示
NikonD700 MicroNikkor105mmF2.8

b0148967_155672.jpg左の写真は晴天時に撮ったタンポポの綿毛だが、今度は小雨が降る中で撮ってみたところ上のように写った。デジタルカメラのホワイトバランス補正が効かず、何となく奇妙な色に仕上がっているが、これはこれで面白いと思う。ところで前回、英文ブログにこのタンポポの綿毛を掲載したところ、ドーム建築と同じ構造だと言うコメントがあった。成るほどと思い観察して見ると、頷けるものがある。ご存知の通り、綿毛は種子が集まったもので、息を吹きかけるとそれがバラバラになって飛んで行く。子供のころ、好奇心で目覚まし時計を分解、元に戻せなくなって泣いたことがある。しかしタンポポのドームはそれどころではなく、種子を集めて修復というのは絶対に無理だと思う。球状のドームは、建築学的に優れていて、美しい。そして風を受けると分解して拡散す技術を人間は模倣できないのではないか。身近な自然に神秘を感ずる。
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by twin_lens | 2010-05-11 01:50 | 森羅万象
ややこしい菖蒲のお話
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近所の平野神社境内の独逸菖蒲(ジャーマンアイリス)が満開である。菖蒲というと「何れ菖蒲か杜若」(いずれあやめかかきつばた)という言葉がよく引き合いに出される。同じアヤメ科の花で似ているため、区別を付けにくいということに由来する。そう言えばアヤメもショウブも漢字は同じであるからややこしい。ショウブはサトイモ科で、アヤメとは全く違う植物だから尚更ややこしい。だからアヤメを花菖蒲と呼べば少し分かり易くなるようだ。とは言え実は簡単に片付けられない。上の写真はアヤメに良く似ているが、別物の鳶尾(いちはつ)で、外花被片の中央部に突起があるのが特長だという。更に以下の写真が独逸菖蒲だが、ややこしさが続く。
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京都市北区 平野神社
NikonD700 MicroNikkor105mmF2.8

境内にある説明木札には「独逸菖蒲は鳶尾が明治期に品種改良されて日本に里帰りした花です」とある。菖蒲の名がついているが、花菖蒲とは違うという。しかも別の外来種である阿蘭陀菖蒲(ダッチアイリス)は球根だが、独逸菖蒲は根茎で葉も花も大きくて花色も豊富だという。そういえば花菖蒲は紫あるいは白だが、境内の独逸菖蒲は色とりどりである。ここまで書いて気づいたのだが、なまじ漢字表記したのがややこしさを増す原因のようだ。アヤメ科の植物をカタカナ表記してみよう。ジャーマンアイリス、ダッチアイリス、ハナショウブ、イキシア、イチハツ、クロッカス、ニワゼキショウ、ヒオウギアヤメ、ヒオウギスイセン、フリージア。うーん、私には見わけがつかない。ますます混乱してきたようだ。
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by twin_lens | 2010-05-02 20:01 | 森羅万象
タンポポの花が咲いて日差しは黄色
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京都市中京区西ノ京銅駝町
Nikon D40 + Zoneplate

死の前の病の床に伏せる前の母親がまだ健在のころ、帰郷した帰り道、娘が道ばたのタンポポの綿毛を撮った。気に入った私が「雑誌アサヒカメラ」の子供向けコンテストに応募を奨めたところ、案の定入賞した。咲き誇った後、まるでイスラーム寺院のドームように球場に広がる綿毛はとても美しい。でも触ると、たちまち形が崩れて、種子が空の彼方に飛んで行く。その姿もまた可愛らしく美しく、そしていと惜しい。
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京都市北区平野宮本町 平野神社
NikonD700 MicroNikkor105mmF2.8

80年代半ば過ぎ、一時私は「週刊朝日」のフォトエディターをしていた。いろいろな人たちが編集部に立ち寄ってくれて、楽しい日々を過ごした。その一人、チズちゃんはとりわけ風変わりな女の子で、印象に残っている。チズは地図、私はマップちゃんと呼んだ。その頃、彼女をことを歌った歌を作った。後に編集部にいたK君との結婚披露パーティーが中之島公会堂であり、花嫁になったチズちゃんに目を見張ったものだ。

タンポポ

タンポポが咲いて 日差しは黄色
あの娘はおかしく やさしいね

バベルの塔は 目に虚ろ
線と点を 散歩する

花びらひとひら 酒に浮く
言葉の裏に 耳傾け

ランボーは不良かい 詩人は不良なのよ
墓場のダンス 月明り

白い帽子の 手鞠歌
風が吹いて 飛んでゆく

逃げる歌を 追い求め
絵の具がひび割れ あせてゆく

(1987.3.29)
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by twin_lens | 2010-04-29 18:02 | 森羅万象
百花繚乱ゾーンプレート写真
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ソメイヨシノ  loupe 拡大表示
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ラッパスイセン  loupe 拡大表示
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アネモネ  loupe 拡大表示
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ボケ  loupe 拡大表示
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アイスランドポピー  loupe 拡大表示
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チューリップ  loupe 拡大表示
京都府立植物園
Nikon D40 + Zoneplate

大判木製暗箱デアドルフ8x10カメラの撮影素材を求め、桜が満開の植物園へ。フルフレーム撮像素子のニコンD700の他に、ゾーンプレートを装着したエントリー機D40を携行、久しぶりに撮ってみた。ゾーンプレート特有のハイライトの滲みが念頭にあったせいか、知らぬうちに白っぽい花に視線が向いてしまったようだ。
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by twin_lens | 2010-04-05 18:33 | 森羅万象
初春の京都平野神社博物誌
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菜の花  loupe 拡大表示
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諸葛菜  loupe 拡大表示
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河津桜  loupe 拡大表示

京都市北区平野宮本町 平野神社
NikonD700 MicroNikkor105mmF2.8

三寒四温、一日ごとの寒暖の振幅が大きい。桜苑を散策していたら黄色い花を見付けた。春の風物詩、菜の花である。一面には程遠く、僅か一株だが、くすんだ冬景色の終焉を告げてるようだ。紫色の花は諸葛菜、しょかっさいと読む。三国志の諸葛孔明(しょかつこうめい)が出陣先でこの種子を撒き、食糧となるよう栽培したことからこの名がついたという。別名紫花菜(むらさきはなな)、菜の花と同じ油菜(あぶらな)科である。大鳥居横の石垣の上の河津桜も満開。一重の枝垂れ桜、魁(さきがけ)が開花すれば本格的なお花見シーズンがスタートする。
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by twin_lens | 2010-03-13 16:18 | 森羅万象
梅の花今盛りなり思ふどちかざしにしてな今盛りなり
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京都市右京区・梅宮大社
NikonD700 Nikkor28-70mmF2.8

今日2月25日は上七軒の舞妓芸妓が野点をする北野天満宮の「梅花祭」の日だった。イベント待ちの今日このごろ、人ゴミを想像するとでうんざりなので、バスを乗り継いで梅宮大社に出かけた。社名が示すように、ここも梅の名所である。それにしてもの温かい、春の陽気だ。境内の白梅、紅梅はどれも満開だった。さて標題だが、万葉集から葛井大夫の歌を引用した。万葉仮名では 烏梅能波奈 伊麻佐可利奈理 意母布度知 加射之尓斯弖奈 伊麻佐可利奈理 と書くようだ。梅の花が今満開ですよ、髪かざりにしよう。今が盛りですよ、という意味だ。
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by twin_lens | 2010-02-25 23:10 | 森羅万象
京都栂尾高山寺冬景色
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京都市右京区梅ヶ畑栂尾町
NikonD700 Nikkor28-70mmF2.8

鳥羽僧正作という伝聞がある「鳥獣人間戯画」で知られる高山寺に出かけた。寺院がある周山街道沿いの栂尾まで行く、JRバスの停留所が自宅近くにある。この春、デアドルフ8x10大判カメラによる撮影を再開さいようと思っているのだが、いわばその為のロケハンだった。私は自家用車を所有していない。だから公共交通機関で行きやすい場所が撮影のターゲットになっているのである。写真は国宝「石水院」の佇まい、ここから眺めた冬の木立、そして境内中にある石垣を撮ったもものである。参道および境内の坂がきついので、大きなカメラを持ち込むのはちょっと無理そうだという感触を得た。
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by twin_lens | 2010-02-22 15:50 | 森羅万象