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カテゴリ:書籍探検( 22 )
近代畜産警告書「アニマル・マシーン」の復刻を
これは今から十数年も前、アイルランド共和国の片田舎で出会った光景だ。牛の群れが道路を塞ぎ、私が乗っていたバスがストップした。よく見ると向こうからやって来た車が何台も止まっている。牛追いの男ふたりが、ゆっくりと放牧を終えた群れを牛舎に誘導しているのだが、家畜優先、車はじっと待つのみであった。牧畜には文字通り、このような牧歌的な雰囲気が連鎖し、時間が緩慢に流れているような気がする。逆にいえば、スピードを求めない緩慢さこそ、牧畜の本来の姿ではないかと私はイメージしている。
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牛追い アイルランド共和国クレア郡ドゥーリン村 NikonF4 Nikkor35-70mmF2.8 Provia100

栃木県にある宮内庁の御料牧場は、口蹄疫や鳥インフルエンザなどの家畜伝染病の侵入防止のため一般の見学が許されていないが、特別の許可を得て写真撮影をする機会があった。皇室専用の牧場で、さまざまな家畜や家禽の飼育され、牛乳・肉・卵および野菜などの生産を行っている。ここで得られた生産物は皇室の日常の食材、そして宮中晩餐や園遊会などに使われる。この牧場で一番印象に残ってるのが、広い敷地を脱兎のごとく走り回る豚で、その運動量ゆえか身が引き締まり痩せていたことである。狭い豚小屋を連想していた私にとって、その光景はまさに青天の霹靂(へきれき)であった。皇室の食材といえば、キッコーマンの御用蔵の醤油を思い出す。昨年1月から始まった移築工事はほぼ終了したものの、醸造開始はまだのようだ。御料牧場や御用蔵は、食の安全に対し最大級の配慮がなされてることは容易に想像できる。御料牧場のような、放し飼いの家畜といえば、私は高知県の「土佐ジロー」を思い出す。土佐地鶏とアメリカ原産のロードアイランドレッドをかけ合わせた一代雑種の鶏だが、広い自然の運動場で飼育されている。このような養鶏法が世間に注目され、支持を受けているのは、自然ではない人工的な空間に、鶏たちが押し込めらている飼育環境が大半であることの証であろう。いわゆるブロイラー飼育である。ルース・ハリソン著『アニマル・マシーン』は工業的畜産とはいったい何だろうか、集約的飼育とはどのようなものだろうかという問いかけを序章に、まずイギリスにおけるブロイラー・チキンの問題点から持論を発進、近代畜産を告発した最初の書となった。

b0148967_14272619.jpgアニマル・マシーン 近代畜産にみる悲劇の主役たち  loupe 拡大表示
ルース・ハリソン(著) 橋本明子・山本貞夫・三浦和彦(訳)
# 単行本: 293ページ
# 出版社: 講談社
# ASIN: B000J8DZ32
# 発売日: 1979/10

原著は1964年にロンドンで初版が発行され、翌1965年にはドイツ語版が出た。続いてオランダ語訳、ノルウェイ語訳、デンマーク語訳、そしてアメリカでも出版された。発売と同時に非常に大きな反響を呼び、ヨーロッパにおける畜産動物福祉の社会的、また法的、そして学問的取り組みを促す原動力となった。イギリス政府は科学者による技術諮問機関、ブランベル委員会(Brambell committee)に、家畜の飼育実態と福祉に関する調査を委嘱した。この委員会が、動物福祉の原則として最初の「5つの自由」を提言している。

1. Freedom from Hunger and Thirst(空腹や渇き、栄養不良に陥らない自由)
  - by ready access to fresh water and a diet to maintain full health and vigour.
2. Freedom from Discomfort(不快な状態に置かれることのない自由)
  - by providing an appropriate environment including shelter and a comfortable resting area.
3. Freedom from Pain, Injury or Disease(痛み、危害、病気で苦しまない自由)
  - by prevention or rapid diagnosis and treatment.
4. Freedom to Express Normal Behaviour(明確で正常な行動を表現できる自由)
  - by providing sufficient space, proper facilities and company of the animal's own kind.
5. Freedom from Fear and Distress(恐怖や苦痛からの自由)
 - by ensuring conditions and treatment which avoid mental suffering.

日本では1971~72年に雑誌に抄訳が紹介された。そして本書が日本における初めての完訳出版となった。著者は日本語版への序文で次のように書いている。
私が本書のなかで論じているのは、家畜動物の取り扱いをどうするかの問題だけではない。むしろ私がほんとうに関心をもって論じたのは、私たち自身の生活の質が落ちてきており、これにどう対処すべきか、という点であった。(途中略)本書は動物の受難を扱っている。視力が落ちて見えなくなった目を彼らの受難に向けて、凝っと見て我が身を振り返り考えていただきたい。私たち人間自身もだんだん力が衰えてきたのではなかろうか。人間による人間の扱いの点でもいよいよ冷酷無情になっているのではなかろうか、と。
ブロイラー・チキンの問題点を突いた2章に続いて、3章「ニワトリ処理場:<製品>となるための最後の恐怖」4章「ケージ養鶏:ニワトリ<工場>の狂気」5章「ヴィール・カーフ:貧血地獄にあえぐ幼い命」6章「家畜工場のいろいろ:他の動物の場合」7章「“たべもの”の質とは:<食品>ではなくてたべものを!」8章「食品の“質”を問う:毒物の洪水のなかで」と筆を進めている。すなわち「近代畜産」とその生産物の安全性に関し、鋭い警告を放っている。「何かが間違っている」と。
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「草なんだゾ、このバカ野郎! 食うはずなんだが……忘れたのか?」 ( 『アニマル・マシーン』より)

ハリソンは設立当初から土壌協会と自然保護協会の理事であり、英王立動物虐待防止協会の活動、および人間の社会福祉活動にもたずさわってきた女性である。本書は「動物工場」の批判書であるが、その真髄は、9章「動物の虐待と法的規制:動物にも苦痛はある」の記述、すなわち家畜の福祉に言及していることだと思う。人間が家畜を飼うようになって以来、屠殺して肉を食べたりその皮革を利用することは当たり前のことだったが、それに対する新たなメスを入れたことだ。上述したようにブランベル委員会勧告により農務省に家畜福祉に関する審議会が設置されることになったわけだが、ハリソンはその委員となり、欧州理事会における動物保護に関する専門家会議の助言者として発言、また米国議会の公聴会で証言するなど、畜産動物の保護のために公的な発言を行った。日本語版への序文は「本書は動物の受難を扱っている。視力が落ちて見えなくなった目を彼らの受難に向けて、凝っと見て我が身を振り返り考えていただきたい。私たち人間自身もだんだん力が衰えてきたのではなかろうか。人間による人間の扱いの点でもいよいよ冷酷無情になっているのではなかろうか」と結んでいる。本書は70年代末から絶版のままである。口蹄疫や鳥インフルエンザなどの家畜伝染病が猛威を振ってる今日、その問題点を探る上で意味深い一冊ではないだろうか。復刻を望みたい。

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by twin_lens | 2011-02-18 11:20 | 書籍探検
眺めるだけで楽しい鳥類図鑑
ずいぶん昔、山階鳥類研究所を訪れて驚いたのは、膨大な量の剥製や骨格標本ではなく、19世紀から20世紀の初めにかけてヨーロッパで発行されたジョン・グールドなどの、豪華な石版および銅版手彩色の鳥類図譜群であった。一辺が1メートルを超えていたものもあったと記憶している。同研究所に関係した鳥類学者は、山科芳麿、松平頼孝、鷹司信輔、蜂須賀正氏、黒田長禮など、旧大名や公家の流れを汲む、華族階級出身者が多数含まれていた。現在の総裁は秋篠宮文仁親王で、紀宮清子内親王も嫁ぐ前はここに席を置き、『ジョン・グールド鳥類図譜総覧』を編纂出版している。これらの伝統はおそらく英王室に倣ったものだと想像するが、鳥類学には貴族的な博物趣味が横溢していると言えるだろう。
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b0148967_15482383.jpgA Field Guide to the Birds of South East Asia  loupe 拡大表示
Ben F. King(著) Martin Woodcock(著) Edward C. Dickinson(著)
# ハードカバー: 480ページ
# 出版社: Harpercollins Pub Ltd; illustrated edition版
# 言語 英語
# ISBN-10: 0002192071
# ISBN-13: 978-0002192071
# 発売日: 1975
# 寸法: 19.6 x 13.5 x 3.3 cm

石版銅版手彩色の豪華本には縁遠い私が最初に手にした鳥類図鑑は日本鳥類保護連盟の『野外観察用鳥類図鑑』だった。ポケットサイズで、野鳥を見つけてはその記録を書きこんだ憶えがある。海外の野鳥に関しては J.G.Williams(著) Norman Arlott(絵) "A Field Guide to the Birds of East Africa" が最初の一冊だったと思う。記憶がやや曖昧だが、1981年、ケニアに旅行した際に確かナイロビのホテルで購入したものだ。1995年に改訂版が出版されたが、現在は絶版になっているようだ。その後コリンズ社の同系列の図鑑を何冊か購入した。上記東南アジア版は、実現しなかったが、香港にバードウォッチングに行こうと思い買ったものである。

b0148967_11341586.jpgフィールドガイド日本の野鳥 A Field Guide to the Birds of Japan  loupe 拡大表示
高野伸二(著)
# 単行本: 342ページ
# 出版社: 日本野鳥の会; 増補版版
# ISBN-10: 4931150136
# ISBN-13: 978-4931150133
# 発売日: 1982/01
# 寸法: 18 x 11.6 x 2.2 cm

野鳥は文字通り野生の鳥、フィールド観察にその真髄があるのはいうまでもない。私が所持している上掲『フィールドガイド日本の野鳥』は1982年に出版されたものである。現在入手できるのは2007年に発刊された増補改訂版である。フィールドガイドという言葉はコリンズ社の影響と想像されるが、本の体裁が良く似ている。山階鳥類研究所で見た豪華本と比べるとコンパクトで文字通りフィールドガイドそのもので、日本の野鳥観察に欠かせない定番の一冊と言えるだろう。ところで私の場合、実際にはこの図鑑を携行することは稀である。もっとコンパクトなガイドブックがあるからだ
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野鳥観察ハンディ図鑑 [新書]
安西英明(解説) 谷口高司 (絵) 出版社: 日本野鳥の会 発売日: 1998/01 寸法: 16.8 x 10.4 x 0.6 cm 64ページ
新・山野の鳥 #ISBN-10: 493115025X #ISBN-13: 978-4931150256
新・水辺の鳥 #ISBN-10: 4931150268 #ISBN-13: 978-4931150263

二分冊の本書は新書サイズでいずれも64ページ、厚さは何と6ミリである。私のバッグの主役はあくまでカメラであり、バードウォッチング用の双眼鏡や図鑑はわき役に過ぎない。そういう意味でこのコンパクトさはたいへん有難い。それに例えば山野の鳥編では「身近な鳥」「森・林とその周辺の鳥」「草地の鳥」「渓流の鳥」「高山の鳥」「飛んでいる鳥」という具合に棲息環境別に分類しているのが親切である。蛇足ながら私は写真を使った鳥類図鑑を持っていない。いろいろ議論の余地があるだろうが、イラストのほうが鳥の特徴を掴み易いような気がするからだ。ところでアームチェアアングラー、すなわち肘掛椅子釣り師という言葉がある。書斎で書籍を片手に釣りを夢想する釣り師のことだが、野鳥観察の場合はアームチェアバーダーとでも言うのだろうか、鳥類図鑑は部屋に籠って眺めているだけでも楽しめる。

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by twin_lens | 2011-02-12 22:30 | 書籍探検
ソローの森の生活とターシャの田舎暮らし

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817-1862)の『ウォールデン;森の生活』を初めて手にしたのは、神吉三郎訳の岩波文庫版で、1970年代末に遡る。これは絶版となり現在は飯田実訳が出ている。同じ頃ギルバート・ホワイトの『セルボーン博物誌』やW・H・ハドスンの『ラ・プラタの博物学者』など、自然史に関する本を読み漁ったことを憶えている。1979年に出版された稲本正著『緑の生活』(角川書店)に写真を寄せたが、そのときこの書籍に関連づけて言われたのが 『森の生活』 だったという。確か6年ほど前、その飛騨高山オークヴィレッジを再訪したが、斜面に小さな丸太小屋があった。ソローが建てて住んだ小屋を模したものだという。一種のバーチャル空間とはいえ、こんな所に住んだのかと驚いたものである。
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ウォールデン;森の生活
ヘンリー・D・ソロー (著) 真崎義博 (翻訳) 本山賢司(イラスト)
# 単行本: 317ページ
b0148967_1645068.jpg# 出版社: 宝島社; 新装版
# ISBN-10: 4796650164
# ISBN-13: 978-4796650168
# 発売日: 2005/12

ソローの『ウォールデン;森の生活』 (Walden; or, Life in the Woods)は、1854年、すなわち安政元年に刊行された。アメリカのペリーが浦賀に再び来航、横浜村で日米和親条約が調印され、日本が開国した年である。マサチューセッツ州コンコード近くのウォールデン湖畔に自ら建てた小屋に、2年余り暮らした経験を元に書かれたものである。世間と交際を絶つ隠遁生活を目指したのだが、実際には完全な世捨て人になったのではなかったようだ。それはともかく、今日の環境保全運動の礎を築いた書となったことは、万人が認めるところである。上掲、真崎義博訳のキャプションは2005年刊となっているが、新装版のことで、掲載写真は1981年に刊行され、その後絶版になった本の表紙をコピーしたものである。あとがきによると、訳者は1970年代、ボブ・ディランに心酔し「ボロ・ディラン」のニックネームで知られたシンガー&ソングライターだった。オークヴィレッジと同様、ある時代の雰囲気をそこに感ぜざるを得ない。翻訳にあたって、神吉三郎訳の岩波文庫を参考にしたという。

b0148967_17551289.jpgCorgiville Fair
Tasha Tudor (著)
# ハードカバー: 48ページ
# 出版社: Little, Brown Books for Young Readers
# 対象: 9 - 12歳
# ISBN-10: 0316853127
# ISBN-13: 978-0316853125
# 発売日: 1998/4/1

ターシャ・テューダー(1915-2008)について強い興味を抱き始めたきっかけは、衛星放送でNHKが放映した「喜びは創りだすものターシャ・テューダー四季の庭」だった。絵本作家そして造園家の彼女について、多少の知識はあったものの、その思想のルーツを最初に知ったのはこの放送を通してだった。絵本作家として成功したテューダーは57歳にして、カナダ国境のバーモント州南部の小さな町はずれマールボロに広大な敷地を手に入れた。そこに古風な家を建てて移り住み、19世紀風の田舎暮らしを始める。
I have learned, that if one advances confidently in the direction of his dreams, and endeavors to live the life he has imagined, he will meet with a success unexpected in common hours.
ソローの『ウォールデン;森の生活』の最後の章に現れる上記の一節は、彼女のはいわば座右の銘であり、これは放送の中でも語られていた。夢を持ち、それを追う生活をすれば、思いがけない成功にめぐり会えるという。まさにこの言葉通り夢を求め、それを獲得した人生を彼女は送ったと言えるだろう。

b0148967_545973.jpgThe Private World of Tasha Tudor
Tasha Tudor (著) Richard Brown (写真)
# ハードカバー: 134ページ
# 出版社: Little, Brown and Company
# ISBN-10: 0316112925
# ISBN-13: 978-0316112925
# 発売日: 1992/10/28

ところでソローは凍結した湖面の氷の切り出し作業を目撃する。天然氷を冬場に採取し保冷しておき、夏場に南方の都市部で販売するという事業だったが、これを仕切る豪農の名をソローは知る。フレデリック・テューダー(1783-1864)という名前で、ターシャの曽祖父にあたる人物であった。ふたりはこのように氷面下、いや水面下の糸で結ばれていたのである。彼女が俗界から逃れたのは、ソローの強い影響によるものと想像できる。ガーデニングについては、多くの日本人がよく知っているようだ。ブログ等に余りにも記述が多いので饒舌を控えたい。単に草花が美しいという以上のもの、つまり哲学が、彼女の造園に隠されていると強調することに留めておこう。紹介した図書はいずれも原書英語版だが、特に語学を必要としない幼児用絵本や写真集であるし、英文のほうがフォントが美しいという、私の勝手な好みによるものだ。前者は『コーギビルの村まつり』、後者は『ターシャ・テューダーの世界―ニューイングランドの四季』というタイトルで邦訳が出ている。

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by twin_lens | 2011-01-06 09:30 | 書籍探検
ゴリラを愛しゴリラに死す
マウンテンゴリラに関しては、2007年にフォトジャーナリストのブレント・スタートン氏が中央アフリカのコンゴ共和国東部で撮影した「死体収容の写真」を昨年、当ブログで紹介した。2008年の「世界報道写真展」入賞作品で、スタートン氏の特別許可を得て掲載したものである。その際、ダイアン・フォッシーに関するコメントをcomplex_catさんからいただいた。マウンテンゴリラの研究と保護に半生を捧げた極めて有名な女性動物学者で、邦題「愛は霧のかなたに」という映画にもなったくらいだ。今年は名古屋でCOP10開催が予定されているせいか、生物多様性という言葉がトレンディのようだ。絶滅危惧種の動埴物保護を巡る議論が俄かに注目され始めたのを機会に、その生涯を再考するのも無駄ではないだろう。極めて遅ればせながら著作を入手したので改めて取り上げてみることにした。

b0148967_15541042.jpg霧の中のゴリラ  マウンテンゴリラとの13年
ダイアン・フォッシー (著) 羽田節子 (訳) 山下恵子 (訳)
# 単行本: 405ページ
# 出版社: 早川書房 (1986/02)
# ISBN-10: 4152033029
# ISBN-13: 978-4152033024
# 発売日: 1986/02

物語は1963年、ケンタッキー州ルイヴィルの病院に勤めていたフォッシーが、銀行ローンを借りてアフリカ旅行に出るところから始まる。目的はザイール(コンゴ民主共和国)のミケノ山のマウンテンゴリラを訪ねること、そしてタンザニアに住んでいた人類学者ルイス・リーキー博士夫妻に会うことだったが、その両方の望みがかなえられる。3年後、リーキー博士の助力でを得てザイールのカバラでゴリラと再開する。野生のゴリラの群れに入っていくというフィールドワークを開始したのだが、1967年、政治的動乱によりルワンダに拠点を移すこととなった。ベルギー政府が制定したヴィルンガ火山国立公園内に、カリソケ研究センターを設置したが、以後、アフリカにおけるマウンテンゴリラの研究および保護の文字通りセンターの役割を担うことになる。

公園内には「密猟者」によって罠が仕掛けられていた。主な獲物はアンティロープ(羚羊)でゴリラが標的ではなかった。ところがゴリラも誤って掛かり、彼女は罠の撤去に奔走し始める。もうひとつ彼女が手掛けたのは、遊牧民トゥウィ族が放すウシを公園の外に追い出すことだった。なぜそうしたか。それは「動植物相の保護のために作られた公園をそのまま残すか、それとも個人的利益を求める侵入者に利用されていいのか」という信念であり、妥協はできないというものだった。数年かけてウシを追い出すことに成功するが、その前に興味深いことに触れている。火山群内にウシを放す習慣は少なくとも400年前に遡り、代々受け継がれてきた。だから彼らは自分たちの土地だと考えている、と。まさに同じ理由で「密猟者」たちも、自分たちの狩猟場であり、公園は後から勝手に設定されたものだと考えていた可能性がある。

b0148967_021549.jpg国立公園に指定したのは、あとからやってきた白人たちである。かつて私はケニアとタンザニアが国境を閉鎖している時に両国を訪れたことがある。国境を超えるため、ケニアのナイロビからエチオピアのアジスアベバに飛び、タンザニアのキリマンジャロ空港に降り立つという大迂回の旅だったが、遊牧民マサイ族は国境を徒歩で悠然と越えていた。その代わり彼らの土地は、動物保護区や国立公園に指定されて遊牧生活が困難となってしまったのである。そのこととゴリラ保護のためのルワンダの火山国立公園がオーバーラップするのは私だけだろうか。しかし彼女は強調する。絶滅の危機に瀕してる多数の種を、例えば観光事業で生存の機会を増すことは期待できないが、効果的な活動があるという。それは「野生動物の生息域を頻繁にパトロールして、密猟者の装備や武器を壊すこと」であると。そうすれば数が減ってきている森の動物に生きてゆくチャンスを提供できるというのだ。
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Dian Fossey's Grave by Ian Aldwinckle   loupe 墓銘詳細
Karisoke Gorillas Research Center, Rwanda, June 2007

1985年12月26日未明、ダイアン・フォッシーは、カリソケ研究センターのキャビンの中で惨殺死体となって発見された。54回目の誕生日の数週間前のことで、二度にわたってナタで頭と顔を打たれていたという。

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by twin_lens | 2010-07-17 10:08 | 書籍探検
日本捕鯨のルーツを旅する
反捕鯨論に対する反論でよく目にするのは「文化」という言葉である。子どもの頃、確かに鯨のベーコンや鯨カツが食卓に並んだことがある。また鯨肉は学校給食に使われた。ところが現代では、スーパーで「大和煮」の缶詰などを見かけるが、鯨肉が日本人の主要な蛋白源となっているとは言い難い。オノミの刺身や、おでんの具であるサエズリ(舌)あるいはベーコンは、一部の食通が愉しむ高級食品と言えるのではないか。一般日本人の食生活から遠のき、今や食べたことすらないという現代人が多数を占めているのではないだろうか。事実南氷洋の調査捕鯨で獲れた鯨肉は売れ残っているという情報もある。残念ながら鯨なしでは生きて行けないという人は稀有ではないだろうか。従って「食文化」と主張するにはやや抵抗がある。

b0148967_11145672.jpg鯨取り絵物語
中園成生 (著) 安永浩 (著)
# 単行本: 296ページ
# 出版社: 弦書房 (2009/1/25)
# Isbn-10: 4863290101
# Isbn-13: 978-4863290105
# 発売日: 2009/1/25

それでは捕鯨そのものの伝統はどうだろうか。大雑把にいえば、江戸時代まで続いた太地などの古式捕鯨は、明治になって終焉してしまったようだ。日本の沿岸を回遊する鯨が外国の船団によって大量捕獲され、激減してしてしまったからだ。戦後、ノルウェー式の捕鯨を南氷洋で展開するようになったが、これをもって「捕鯨文化」とは言い難いのではないだろうか。しかし歴史的観点に立てば、厳として「捕鯨文化」は存在した。日本人と鯨の付き合いは古く、縄文時代にまで遡る。それは集落遺跡から発掘された鯨の骨がが証明してくれる。これは座礁漂着した鯨を獲ったものと推測されるが、古墳には捕鯨図らしき線刻画が見つかっているという。
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小児の弄鯨一件の巻(肥前国産物図考 1773年)部分=本書より loupe 拡大表示

また奈良時代以降の古代、および中世の日本には捕鯨に関する記述が存在しないそうだ。専門的な集団(鯨組)によって、鯨から取れる肉や油、その他の製品を販売する目的で、戦国時代末期に始まった捕鯨を古式捕鯨と呼ぶ。本書はその古式捕鯨を、膨大な量の古文書を元に詳述したものである。添えられた数々の素晴らしい鯨の絵物語を見ると、少なくとも歴史を遡れば「捕鯨文化」が存在し、それが明治以降の近代化によって一挙に失われたことがよく理解できる。本書の魅力を拙文で伝えるのは至難の技である。商業捕鯨再開で注目された今年の国際捕鯨委員会(IWC)年次総会も不協和音のまま幕を閉じた。

捕鯨問題は国際的関心を呼んでいるが、捕鯨のルーツを旅させてくれる本書を強くお奨めしたい。蛇足ながら本書に関係する元資料は大学の図書館や、全国各地に所在する一般の博物館などに所蔵されている。研究者でない限り、目に触れ難いものも少ないなくないと思う。仮に閲覧する機会があっても、古文書を読み下すにはそれなりの知識が必要であろう。そういう意味でもこのような図書は、専門外の人間にとって非常に有難い存在と言えるだろう。なお本書に登場する捕鯨史料の一部は九州大学デジタルアーカイブでも閲覧できる。古文書そのもののコピーなどで研究者にとっても参考になると想像される。

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by twin_lens | 2010-06-26 10:55 | 書籍探検
仏機墜落とサン=テグジュペリ『夜間飛行』の再読
日本人は太平洋を真ん中にした世界地図を見慣れている。欧米式の大西洋を中心にした地図を広げると、フランスのパリ、セネガルのダカール、ブラジルのリオデジャネイロの三都市が、ほぼ一直線で結ばれてることに気付くはずである。このコースを飛ぶ、リオデジャネイロ発パリ行きのエールフランス機447便A330-200(エアバス)が大西洋上で消息を絶った。捜索中のブラジル軍機が5キロにわたって散乱する残骸を発見、ジョビン国防相は会見で「同機が付近で墜落したことを確認している」と述べた。ニュースに接した私は、何故か急にアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『夜間飛行』を読み返したくなった。

b0148967_1035889.jpg夜間飛行 (新潮文庫)
サン=テグジュペリ(著) 堀口 大学 (翻訳)
# 文庫: 283ページ
# 出版社: 新潮社; 改版版 (1956/02)
# ISBN-10: 410212201X
# ISBN-13: 978-4102122013

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、1900年、南フランスのリヨンで生まれた。生家は名門貴族の家柄だったが、4歳のときに父親を亡くし、母方の親類の所有する城館で暮らしたという。21歳の年、兵役に志願して飛行機の操縦を覚えた1926年、ラテコエール航空に入社し、サハラ砂漠の中継基地や、ブエノスアイレスなどに着任した。だからこの小説は、彼の飛行士としての経験を元に書かれたものである。従って南米への郵便飛行開拓期の歴史的史料としての価値も高いという。主人公ファビアンの操縦する飛行機がパタゴニアからブエノスアイレスへと帰還するシーンから物語は始まる。待ち受ける支配人リヴィエールは冷厳な性格の持ち主で、部下に厳しく、時間の遅れや整備不良に対して厳格であった。表面は冷たいが、それは危険な任務を遂行する飛行士を陰から守る、そういった上司であった。ヨーロッパに旅立つ飛行士を励ますが、内心はその裏腹に暴風雨に遭遇すると予測する。案の定ファビアンの操縦するパタゴニア機が暴風雨に遭遇し、何とか脱出しよう雲の上空まで上昇する。燃料が尽き、やがて通信が途絶える。しかしファビアンを失ったリヴィエールは毅然とした態度を保ち続ける。


小説『夜間飛行』は1931年に発表されベストセラーになった。翌々1933年にハリウッドが映画化、1934年に公開された。このビデオはそのサマリーである。監督はクラレンス・ブラウン、出演はジョン・バリモア、ヘレン・ヘイズ、クラーク・ゲイブルなどなど。サン=テグジュペリは第二次世界大戦中、志願して北アフリカ戦線の実戦勤務についた。着陸失敗により除隊処分を受けたが、紆余曲折を経て、古巣のオルコントに駐屯する偵察隊(II/33 部隊)に復帰する。1944年7月31日、ナチス部隊のを写真偵察のためボルゴ飛行場から出撃したが、消息を絶った。本書には作家のアンドレ・ジッドが序文を寄せている。「僕は単に勇気があるというだけの男なら絶対尊敬しないつもりです」と書きながら、哲学者キントンの書から次のような格言を引用している。「恋愛と同じく、人は自分が勇敢だという事実を隠したがる」または、もっと適切に、「勇敢な人間は、金持ちがその慈善を隠すと同じく、その行為を隠す。彼らはその行為に変装させるか、でなければそれを詫びたい気分になる」云々。
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by twin_lens | 2009-06-03 10:05 | 書籍探検
谷崎潤一郎『鍵』の中のカメラ異聞
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谷崎 潤一郎 (著)
# 文庫: 240ページ
# 出版社: 中央公論新社 (1973/01)
# ISBN-10: 412200053X
# ISBN-13: 978-4122000537

これは今でいえばポルノ小説と言ってよいだろう。いくつかのレビューも読んだが、アマゾンの書籍紹介にはこんなことが書いてある。「封建的な家庭に育った貞操観念の強い妻と、初老を迎えた大学教授の夫。肉体的な下降期にある夫は、妻の旺盛な性欲を満たすことができない。美しい妻の肉体に日々妄想を募らせ、ついには若い男を妻に近づけることで、自らの衰える性欲を掻き立てようとする…」。老人は妻の裸体を撮りたい欲望に駆られる。妻は日記に「木村(若い男)は夫にポーラロイドという写真機のあることを教えた」と記す。なぜその木村が、老人が裸体を撮りたがっているか、その当人も不思議がる。妻の日記は続く。「夫がやがてポーラロイドで満足できず、ツワイス・イコンを使うようになり、それを現像する役目が木村に廻って来るようになるのを、―」。かくして老人と若い男はお互いに嫉妬しあいながら共犯関係に陥る。妻の裸体写真は、当時としては卑猥なものと扱われ、撮ったフィルムはカメラ屋に持ち込みむのは憚れただろう。だからポラロイドだが、それでは満足しない。若い男に現像させることによって、嫉妬し、自らの性欲を奮い立たせる。

いじれにしても。カメラが重要な役割を果たしている。小説『鍵』の第1回は、1956(昭和31)年1月の『中央公論』誌上に掲載された。前後の年表は次の通りである。1948(昭和23)年:エドウィン・ランド博士発明のポラロイドランド95型発売/1953(昭和28)年:NHKがテレビ放送を開始/1956(昭和31)年:米アンペックス社がVTRを開発/1957(昭和32)年:NHKが大相撲でスローモーションフイルム録画機を使用/1958(昭和33)年:大阪テレビがアンペックス社製VTRを輸入。これによると、NHKがビデオテープレコーダーを導入したのは、1958年以降となる。フイルム録画機はそれこそ現像に時間がかかるから、相撲の取り組み直後にプレイバックできなかったと想像される。おそらく夜のニュースで使ったのだろう。小説に出てくるポラロイドはおそらくモニター画面をキャプチャーしたのだと思われる。ネット上ではこれといった資料が見付からなかったので、直接NHKコールセンターに訊いてみた。回答資料の中に「勝負終了後瞬時に再現した」という記述があるが、ポラロイドは1分近い現像時間が必要である。いささか大袈裟なのだが、当時としてはやはり画期的、かつ驚異的なカメラであったことを彷彿とさせる表現ではある。回答全文は次の通りである。
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谷崎潤一郎の墓
京都市左京区の法然院

いつもNHKの番組やニュースをご覧いただき、ありがとうございます。また、このたびは大相撲放送についてお問い合わせいただき、ありがとうございます。この件につきましてご説明いたします。資料としては下記のようなものがあります。「20世紀放送史・上」(平成13年3月22日発行)の392ページに、明確ではありませんが、「56年の大相撲初場所からNHKは勝負の瞬間を数十秒後に再現するという新技術を取り入れ関心を呼んだ。・・・」という記述があります。また、「NHK年鑑1957(昭和31年11月1日発行)の239ページから240ページにかけては「相撲放送では、30年春場所からポラロイド写真を利用し、勝負の一瞬を捉えた写真を"ただ今の勝負"として勝負終了後瞬時に再現した。・・・」と、ポラロイド写真を実際に使ったことがはっきり書かれています。さらに、「日本放送史・下」日本放送協会編(昭和40年3月22日発行・非売品)の604ページにも「大相撲中継放送は、・・・、昭和三十一年初場所の中継には、ポラロイド写真を利用して・・・」との記述があります。以上、導入時期の細かな点については、試行的な導入なのか、本格導入なのか、不明確な点もありますし、機種名など技術的なことも定かではありませんが、テレビの草創期に、早々とポラロイドを活用した瞬間画像を取り入れていたことは間違いないようです。

20世紀放送史 日本放送史 NHK年鑑1957年
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by twin_lens | 2009-05-14 18:37 | 書籍探検
少年レイ・ブラッドベリが発見した夏
b0148967_2122359.jpgたんぽぽのお酒
レイ・ブラッドベリ(著) 北山 克彦(翻訳)
# 単行本: 405ページ
# 出版社: 晶文社 (1997/8/1)
# ISBN-10: 4794912412
# ISBN-13: 978-4794912411

イリノイ州の片田舎、グリーンタウンの1928年の夏が始まった。12歳の少年ダグラスと弟のトムはおじいさんに訊く。「みんな用意はいいの? もういいの?」「五百、千、二千はあるな。よし、よし、けっこうな量だ。…」。少年たちが摘んだのは金色の花、タンポポ。絞り器がぐるぐる回転し、タンポポを押しつぶす。金色の潮流、6月のエキスが流れ出し、それを甕(かめ)に入れる。酵母を掬い取り、ケチャップのふりかけ容器につめて、地下室の薄暗いところに、キラキラ光る列を作って並ばせる。タンポポのお酒である。父親に連れられて森に出かけたダグラスは、ふとしたことから、弟のトムと取っ組み合いになる。拳が口に当り、ダグラスは錆色の温かい血の味を感じ、弟に掴みかかる。押さえ込んだあと、ふたりは横になる。すると「世界は、彼よりもいっそう巨大な目に虹彩で、同じようにいま片目を開けてすべてを包みこもうと広がったように」ダグラスを見返す。

そして「とびかかってきて、いまはそこにとどまり、逃げていこうとしないものの正体」を知る。「ぼくは生きているいるんだ」と彼は思う。1928年の夏、少年ダグラス、いや少年ブラッドベリが発見したのは、夏の歓喜、生命の躍動とともに、それに相対する死という宿命であった。だからこそ「ぼくは生きているいるんだ」と大声で、といっても声は出さすに叫んだのである。「十二歳になって、たったいまだ! いまこのめずらしい時計、金色に輝く、人生七十年のあいだ動くこと保証つきのこの時計を、樹の下で、取っ組み合いしている最中に見つけた」のである。レイ・ブラッドベリは1920年生まれで88歳だが、ロスアンゼルスに住み創作活動を続けてるという。少年ダグラスの夏は1928年で、ブラッドベリは8歳である。ダグラスを12歳に設定したのは、ブラッドベリが12歳からオモチャのタイプライターで物語を書き始めたからだろう。
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タンポポ
京都市中京区西ノ京銅駝町
Nikon D40 + Zoneplate

レイ・ブラッドベリを初めて手にしたのは何時ごろだったろうか。少なくとも1970年代に戻るだろう。いくつか脳裏に残っているが、何よりも印象深く、記憶から離れないのがこの自伝的長編小説『たんぽぽのお酒』である。しかし『十月はたそがれの国』もそうだが、『火星年代記』『華氏451度』など、一般にはF作家として名高いようだ。編集者で著述家でもある松岡正剛もファンらしく、その著作のほとんど読破しているという。書評サイト「千夜千冊」で『華氏451度』を取り上げているが、ブラッドベリと実際に会ったときのエピソードが面白い。地下室に案内されて「ミッキー・マウスをはじめとする厖大なぬいぐるみや人形のコレクションを自慢されたときは、これがあのブラッドベリなのかと疑った」というのである。詳細は「千夜千冊」に譲るとして、地下室から、やはり私は『たんぽぽのお酒』を連想してしまうのである。
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by twin_lens | 2009-05-08 20:49 | 書籍探検
書籍を1円(※)で売る細かいビジネス
買う時はかなり値が張った文学全集を古書店に持ち込み、引き取り価格が二束三文でがっかりした経験がある。以来、書籍を古書店に売ることはやめてしまった。アイティメディアのビジネスサイト「Business Media 誠」の吉岡綾乃編集長が「家にある不要な本を、一歩も外に出ずにおこづかいに変える方法」という一文を寄せている。古書店の大手チェーンは般の古書店とは値付けの方法が違う。古書として価値が高いか低いかを目利きが判断するのではなく、新しい本ほど価値が高いという原則に従って値付けがされるそうだ。だから肝心の古書は二束三文。しかもコミックには値がついても、文庫本の買い取りはなんと0(ゼロ)円だと言う。自分が持っている本と似た傾向の本を揃えている古書店を狙ったら、人文系専門書や古めの文庫本を、比較的高価で買い取ってもらえたという。ただその店は自宅から遠く、重い本の場合は大変。そこで自宅まで無料で古本を引き取りに来てくれるサービスの紹介へと続くのだが。

街をぶらぶら歩くと「本・お売り下さい」と書いた看板をよく見かける。中に入ると、綺麗な本とコミックが並んでいて驚く。まるで新刊書を扱う店のようで、古書店のイメージはない。実は娘に聞いたところ、本は売ることを前提に読むと言う。だから汚れないように丁寧に扱う。帯は絶対捨てない。蔵書にしないなら、図書館に行って借りたらどうかと訊くと、そんな時間がない、という答えが返ってきた。そういえば、昨今は宅配型DVDレンタルが盛んなようだ。だから貸本屋もあるのではと検索したところ、あるある。思いつくことは誰でも一緒だ。もっとも見つかったのはコミック専門店のようだ。要するに古書チェーン店やネット貸本屋は、読み捨てタイプの書籍ゆえにビジネスが成り立つようだ。従って学術書の類は遠い世界のようだ。それにしても、古書チェーン店がコミックは買い取るけど、文庫本が0円というのはやはり悲しい。
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古書店の文庫本ワゴン(京都・百万遍)

というのは文庫本こそ蔵書に向いているからだ。昨今は新刊から文庫というスタイルが多いが、昔はある程度売れ、しかも一定の年月を過ぎないと文庫化されなかったものである。もう広げて読まないだろうと思われても、私は文庫本は手元に置いてある。売り払いたくなるのは、むしろ嵩張るハードカバーなどである。ところで話は前後するが、0円で思い出すこと。それはアマゾンの利用者間流通システムであるマーケットプレイスに、1円で出品されてる書籍がたくさんあることだ。見ると古書店らしき出品者が多いのに気付く。なぜ販売価格1円で成り立つのか? 実はマーケットプレイスで購入する場合、定額の配送料がかかる。例えば書籍の場合、国内は一律340円となっている。ご存知ヤマト運輸のメール便なるものは、A4以下、厚さ1センチ以内なら80円、2センチ以内なら倍の160円で済む。だからモノによっては1円でも、配送料が入ればペイするというわけである。細かいビジネスだが、物事には裏があるとつくづく感心する。

※ 当初0(ゼロ)円と書いたのですが、調べ直したところこれは私の勘違いで、アマゾンのマーケットプレイスの最低価格は、1円でしたので訂正しました。(5月6日)
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by twin_lens | 2009-05-01 00:01 | 書籍探検
ディテイルを拒否するまなざし
b0148967_17441734.jpg不鮮明の歴史
ヴォルフガング・ウルリヒ (著) 満留 伸一郎 (翻訳)
# 出版社: ブリュッケ (2006/09)
# ISBN-10: 4434082701
# ISBN-13: 978-4434082702

ピンボケの写真ができ上ると、人々は失敗作として落胆しないだろうか? 写真は鮮明に写っていないと駄目だと入門書に書いてはないだろうか? ところが現代では、判別できないような不鮮明な画像が受け入れられている。著者は不鮮明の歴史を再構成していけば、ある造形手段のジャンル全体が、精神的・イデオロギー的な起源から解き放たれていく過程を示すことになると主張している。明解性において優れた写真術の発明は、絵画、特に肖像画に大きな打撃を与えたといえる。しかし不思議なことに、すぐにソフトフォーカスが流行りだした。そしてさらに、ゴム印画法など、絵画を模倣した手法が現れ、19世紀末から20世紀初頭まで一世風靡する。いわゆるピクトリアリズム、絵画主義写真である。

明解性こそ写真の真髄であるという主張を基に、ストレート写真による揺り戻しがあった。米国において最も重要な代表者はアルフレッド・スティーグリッツであり、我が国では野島康三だった。いずれも絵画主義を標榜した写真家だったが、鮮明なストレート写真こそ写真であると高らかに宣言した。写真芸術にとって不鮮明さは必要ないと断じたわけである。一方、鮮明さを求めるものに報道写真があるのでは、と考える人が多いかも知れない。ピンボケでは証拠にならないからだ。しかし例えばロバート・キャパの名作「ノルマンディ上陸作戦」の写真はどうだろう。ヘルメットをかぶり、海水に浸かりながら上陸作戦を展開する兵士たちは、見事にブレ、ボケている。そのブレボケが状況の緊迫感を増幅させ、逆にリアリティを持たせている。もしかしたら不鮮明は真理の構成要素のひとつになり得る可能性もあるといえるのではないだろうか。
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マガモ
京都・加茂川北大路橋下
Nikon D40 + Zoneplate

20世紀の終わりになると、信憑性がある写真に対する欲求が高まったと著者は主張する。そのひとつの要因として、デジタル画像処理に対する反動があったのではないかという。つまりこの写真はホンモノかどうかと疑うことが習慣になってしまったというのだ。カメラの外にある光と、フィルムと簡素な関係に複雑な要素が加わってしまった。カメラはブラックボックス化し、人が写真の成立にどれだけ関われるかが不透明になってしまった。だから写真の技術武装に対する反動として、ロモのようなトイカメラが圧倒的支持を得るようになったのではないだろうか。ロモ愛好家のスローガンは「不鮮明なほど鮮明だ」「<よい>写真や<下手>な写真は存在しない」であった。本書はピンホールやゾーンプレート写真には触れていないが、その位置づけに対し示唆に富んでいる。私は写真の成立に極めて直接的に関われるこれらの写真こそ、真実味を帯びた、信憑性ある画像を生み出すと思っているからだ。その根底にあるのは、物事のディテイルを拒否する人間のまなざしではないだろうか。
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by twin_lens | 2009-03-18 17:48 | 書籍探検