カテゴリ:写真文化( 32 )
写真のレタッチはどこまで許されるか
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書き初め 北野天満宮(京都市上京区馬喰町) NikonD700 Nikkor28-70mmF2.8

上掲大きな画像と下の小さなオリジナル画像の違いに気付いただろうか。比べてまず分かるのはおそらく背景のトーンが落ちていることだろう。さらに観察していただき、オリジナルにあるマスクをした男性の姿が消えていることに注目して欲しい。これはRAWデータ処理後、画像処理ソフトPhotoshopで消したものである。

b0148967_738175.jpgオリジナル画像  loupe 拡大表示

私はかつてフォトジャーナリスムの現場にいたせいか、滅多にこのようなことはしない。しかし例えばこの男性が白いマスクをしていなければ、おそらくこのような画像処理をしなかったと思う。やはり白い色は目立つし、視線がそこに向いてしまうと考え、仕方なくこのようなことをしてみたのである。弁解させていただくなら、大事なのは主題、つまり書き初めを手にした子どもたちであって、背景に写っている人物ではないということだ。背景が強調された場合、主題がボケる可能性がある。しかしこの場合、どのような場所であったか、説明の役割を担っている。というわけで、弁解はしたものの、正しい判断であったか疑問が若干残ることは否めない。逆にマスクにむしろ季節感感ずるという異論も考えられる。それにトーンを整えたりすることは構わないが、写ってる事象に変更を加えることは危険であるからだ。写真のレタッチはどこまで許されるか、これに対する判断は難しい。銀塩アナログ写真と比べてデジタル写真はレタッチが容易、かつレタッチしたことが分かり難いという問題を含んでいる。これは特にフォトジャーナリスムの世界では慎重になるべきであろう。もっとも「写真は<真>にあらず」というフォトアーティストの考えに立つなら、話は大いに変わってくるが。

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by twin_lens | 2011-01-04 08:00 | 写真文化
立体3D写真は幕末時代からあった
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磯邸から見た桜島 薩摩藩最後の藩主島津忠義(右下)撮影のステレオ写真(鹿児島市「尚古集成館」所蔵)

b0148967_16491693.jpg明治時代に一世風靡した立体写真グラフォスコープについて紹介したが、その続きである。3D写真の原型といえるステレオ写真(立体写真)は、両眼視差に基づく二眼式の表示方法だが、その原理は写真術の発明以前から知られていた。1840年代にイギリスのサー・チャ―ルズ・ホイートストーンによって発明されたステレオ写真は、フランスの光学機器商デュポスクが商品化、1851年のロンドン万国博覧会で公開された。ステレオ写真の撮影には、僅かにアングルが違うふたつのレンズがついたカメラが使われた。できあがった10センチ四方程度の小さな2枚の写真をステレオスコープと呼ばれる装置で見ると、画像が重なり合い、立体的に見えるという仕掛けだった。

b0148967_2320965.jpg読者所蔵「古い写真」館―幕末から昭和へ
後藤和雄・早坂元興・松本逸也(編)
# 単行本: 209ページ
# 出版社: 朝日新聞社 (1986/06)
# ISBN-10: 4022555114
# ISBN-13: 978-4022555113
# 発売日: 1986/06

ステレオ写真はサイズが小さく安価だったため、1860年代には爆発的ブームになった。このブームは写真趣味の一分野として定着、少なくとも1世紀にわたって継続したのである。若い世代にとって3D映像は新しい技術と思われがちだが、実はステレオ写真の歴史は日本でも古く、幕末時代に遡る。上掲した桜島の立体社写真は島津忠義が撮影したもので、この写真集に掲載されている。日本に銀板写真カメラが渡来したのは嘉永元年(1848)で、長崎の商人、上野俊之丞がオランダから輸入したものだった。そして日本人が日本人の撮影に最初に成功したのは安政四年(1857)、市来四郎など薩摩藩の若い研究者たちが撮影した藩主島津斉彬の肖像写真だった。斉彬は藩の科学者たちを主導して銀板写真技術の研究を推進させたが、藩主を継いだ島津忠義も無類の写真好きであった。彼は最後の藩主となったが、フランスから輸入された暗箱カメラやステレオカメラ、慶応末にはイギリス留学の藩士から送られてきた暗箱カメラを愛用していた。幕末から明治時代にかけて彼が写した島津家の人々や、鹿児島をはじめ各地の風景写真が残されているが、その中にステレオカメラによる立体写真が多く含まれてることは、案外知られてないかもしれない。ステレオカメラによる写真が多いのは、立体写真がこの時代に一世風靡したという背景にあったからである。

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by twin_lens | 2010-10-26 21:01 | 写真文化
一世風靡した明治の3D眼鏡
ジェームズ・キャメロン監督の映画『アバター』のヒット以来、3D映像が大流行、カメラやゲーム機、テレビなどの関連新製品が次々と発売されている。3D写真の原型といえるステレオ写真(立体写真)は、両眼視差に基づく二眼式の表示方法だが、すでに幕末に日本に渡来していた。そこで朝日新聞大阪本社が主宰している朝日21関西スクエアの会報に「3D写真は幕末時代からあった」という一文を寄せることになった。その資料収集過程で、非常に興味深い写真に出会った。
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Geisha Looking At Photographs グラフォスコープで写真を覗く芸妓(1900~1905年ごろ)

これはラブ・オーシュリ氏の膨大なコレクションの1枚で、芸妓がグラフォスコープを使って写真を見ているシーンである。写真共有サイトFlickrにアップロードされているが、非営利のブログ等への転載可というコメントがついてるので、ここに掲載することにした。オーシュリ氏は70年代初頭、ベトナム戦争で来日、沖縄に滞在してそのまま住みついた人である。明治時代、貴重なステレオ写真を残した写真師、江南信國の作品コレクターとして名高い。江戸時代に流行った「覗き眼鏡」は浮世絵師が極端な遠近法で描いた絵をレンズを通して覗く装置で、立体的な像が見えるというものだ。いわばカラクリの一種だが、実際にはそれほどの立体感はなく、いわば「覗く」という行為がその感覚を助長したのだろう。
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Geisha Under A Leaning Pine, Kyoto, Japan 松の下の芸妓(江南信國が嵐山で撮影したステレオ写真)

b0148967_10572558.jpgRowsell's Graphoscope

イギリスのチャールズ・ジョン・ロウセルが1864年に特許をとった折りたたみ式のグラフォスコープである。特許取得後も改良が加えられ、これは長さ約58センチ。クルミ材を使い、透かし彫りの装飾があるのが特長である。レンズは直径15センチで、絵葉書などを拡大して覗く。その下にステレオ写真用の眼鏡がついている。約10センチ四方2枚一対の写真をついたてに置き、立体写真を楽しんだ。幕末から日本に輸入されたが、明治に入ってステレオ写真は一世風靡した。写真そのものが小型で比較的安価だったこと、そして何より国内および異国の風景を鑑賞出来たことが爆発的ブームになった理由であったと想像される。この型番はベストセラーになったようで、海外のオークションサイトに出品されているのをよく見かける。私は京都市中京区河原町三条上る「キクオ書店」の店頭ショーウィンドウに飾られているのを拝見したことがある。アンティークカメラの図鑑などにも掲載されているが、このグラフォスコープを実際に使っている上掲、芸妓の写真は、歴史的にも貴重な資料といえるだろう。

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by twin_lens | 2010-10-15 13:40 | 写真文化
銀塩アナログ写真へのこだわり
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Nikon D40 Nikkor18-55mm F3.5-4.6

これまで何度かモノクローム写真の魅力について書いてきた。かつて私が揶揄したのは、デジタルカメラで撮影、これを画像処理でカラー情報を破棄した写真をモノクロームと呼んでいることだ。字義通りに解釈すれば、単色だからモノクームには違いない。モノクローム専用のデジタルカメラが存在するかどうかは知らないが、撮る段階にせよ、後処理にせよ。フィルムのそれとは根本的に違うと私は思っている。
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Tachihara4x5 Fujinon150mmF5.6 Neopan100Acros

同じ銀塩でもカラーフィルムと黒白フィルムの仕組みは似て非なるものである。前者の場合、カラードカプラーの発色現像が終ると、銀粒子は漂白されて捨てられる。画像は色素で組成されるが、後者の場合は銀粒子そのものが画像を形成する。多くの銀塩アナログ写真愛好家が黒白写真を好むのは、この銀粒子の美しさだと思う。しかしその美しさは、こうしたウェブ上では再現ができない。ひょっとしたら、上の写真、ニコンのエントリー機で撮ったもののほうが良いと思われるかもしれない。すでに写真の多くはネットワーク上で流通するようになってしまった。ネットワーク上で表現活動するなら、デジタルカメラのほうが勝っているだろう。しかし銀塩アナログ写真へのこだわりを捨てられない人が、世界にはまだまだ沢山健在だと信じている。

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by twin_lens | 2010-08-25 18:10 | 写真文化
懐かしのTRI-Xで撮ってみよう
今や絶滅危惧種ではないかと思われてる人が多い写真フィルムだが、海外ではまだまだ人気がある。無論、日本にもファンが残っていると想像するが、私の周囲では激減している。それはともかくフィルムはやはり銀粒子が美しい黒白(モノクロ)に魅力を感ずる。製造銘柄、種類、特に感度の違いなど、意外と選択肢がある。私が使ってきたのは米国のコダックと富士フイルムのそれで、英国のイルフォードとは今のところ無縁である。
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ACROS100 T-MAX400 TRI-X400

特に富士フイルムのACROS100は超微粒子、粒状性も素晴らしく、このクラスの感度では世界一だろう。シートフィルムで愛用しているが、たまに120も使う。しかし感度100となると三脚を使うケースが出てくるし、だったら4x5とか大判となってしまうので出番は少ない。そこで手持ちで撮影できる400のPRESTOを一時使用したが、何と富士は120を製造中止にしてしまったのである。製品整理で、もし残すならPRESTOだと思っていたけど、ちょっと残念である。

120タイプで一番ファインと謳っているのがコダックのT-MAX400だ。確かに素晴らしいフィルムで、長い間愛用してきた。ただ現像に問題がある。汎用タイプD76現像液では真価が発揮できず、専用のT-MAX現像液が望ましい。ラボに出す場合もこの現像液使用のところに依頼する必要がある。私が知る限りでは関西になく、東京に宅配や郵便で送る必要があって、やや面倒だしお金もかかる。

そこで自家現像となるのだが、かつて120が多かったのでT-MAX現像液を使っていた。ところがシートフィルムはACROS100で、汎用D76で処理するようになった。別の現像液も考えられるが、D76が一番入手しやすいというのが理由である。しかし2種類の処理液を使うのは管理上望ましくない。そこでD76を使うには、と思っていたのが懐かしのTRI-X400である。その組成は昔と違い、別製品といってもよいだろう。しかし試用してみようと思う。暗室作業優先のフィルム選択というのはオカシイかもしれないが。

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by twin_lens | 2010-07-11 10:30 | 写真文化
写真に纏わる言の葉を集めてみた(2)
「どんなカメラを使うのですか」と尋ねられると、「どんな絵の具と絵筆を使うのか画家に尋ねますか。どんなタイプライターを使うのか作家に尋ねますか」と答える。-- マン・レイ

映像を保持していながらそれをいまだに提示していない板の上に現れている事物が残したこのポートレイトは、魂が受け取った漠たる印象に、他者にも魂自身にもその事物をはっきりとは示さない印象に、驚くほど似てはいないか?-- エルンスト・ヘロ

ある写真を撮る必要に迫られたとしたら、私は何であれ手近なカメラを、すぐさま手にするだろう。ところが、ある種の絵柄については、ある種のカメラのほうがより適切だとはっきり言えるのだ。-- ケネス・ジョセフソン

絵画における主体の表象行為が、経験的直観による継起的な手の作業であるのに対して、写真の場合、主体の役割は構図を決めてピントを絞ったところで終っていると言っていい。シャッターを切ることは、いわば我にかえるための、空虚な行為なのだ。-- 浜田優

通常の写真家は完全に透明人間化することを恐れ且つ避けて何とかして自己を表現しようと工夫を凝らす。角度をつけたり、わざと暈かしたり、色をつけたり、褪色させたり、光と陰の対照を極端にしたり、して自分の眼の審美的特徴を誇示しようとする。-- 藤田省三

写真のメカニズムに関することが、写真制作のしかたに入り込むべきではない。写真を撮るという行為がそんな厄介なことであってはならないのだ。そうでないと作ることから楽しみが奪われてしまう。-- デュアン・マイケルズ

彫刻家は光を活用するが、彼にとってそれは第一義的なものではなく、中心的なものではない。写真家にとっては、光こそが肝心なのであり、本源的な素材は光なのである--だが、この光は、さまざまな量感を開示して見せ、量感によって調子を変える。-- ジャン=クロード・ルマニー

写真はどんなイマージュをもその自然の支持体から取り出し、かつ自分自身の支持体の重荷を打ち捨てて他のどんな出現圏にも、スクリーンとなるどんな表面にも備給し、それを占拠するというあの二重の性向を備えているのである。-- アラン・セイヤ

見てみろよ。おんなじような写真撮ってて、あいつの前にたまたまハゲワシが降りてきて、そんでもってポーンとピュリッツァー賞。俺の前には何も降りてこなくて、はい、普通のボツ写真。ま、そんなもんよ。-- ジョアオ・シルバ

美しく、悲しみに満ちたこの少女のまなざしは、私たちの魂に訴える。果たして少女は生き延びたのだろうか? この写真を撮った写真家は何度も彼女を探したが、手がかりはなかった。少女の行方は永遠に分からないかもしれない。-- ウィリアム・アレン

カメラは(火星の)クリュセ平原を、探査機の脚元から地平線までくまなく走査し、最大解像度1ミリ以下という精度でカラー映像を送ってきた。だが結果は失望すべきものだった。送られてきた風景には、どこにも植物群落らしきものは見えず、動物がレンズの前を横切ることもなかった。-- E.O.ウィルソン

今日の絵画は少数者のためのファインスポーツである。しかるに写真は、かつて歌謡と舞踏において示されたのと同様の美的な力を、最も原始的な人々にさえ与えるのである。-- パブロ・ピカソ

現在では機械的方法によって、瞬間的に写真乾板の上に、形象を固定せしめることができる。それは人間が能う限り描いたものよりも精密で正確な形象である。それゆえに、写真の誕生と共に、芸術における正確なる再現の必要が消滅した。-- アンリ・マティス

モード写真が見せるさまざまな奇術の不透明さ、うわべの輝き、不変の部分--その衰弱した軍勢か? その生硬さ、メトロームの如きへつらいの身振りか? ここにあるのは、今でも我々を打ち負かし続ける純化作用、我々を憔悴させる日々のミルフィーユ、数々の命令の陰鬱なのか? -- ドゥニ・ローシェ

私は売春婦にモデルになってくれるよう頼んでみた。だが、売春婦に写真を撮っていいかどうか訊いてみるといい。彼女はこう答えるだろう。「あんた、私を何だと思ってんの」。これで一悶着起きた。-- ルシアン・クレイグ

人々は僕が、表面的に身近なものを片っ端から写真に撮っているように言うけれど、それは違う。何回も繰り返し現れている主題というのがある。それは、自然や光や、様々な現象、観察、社会の中での「生」を考えることだと思う。-- ヴォルフガング・ティルマンス

写真を撮っている間は、被写体となる動物が生息している世界に強く惹かれる。元々は人間も大自然の一部だった。だから、被写体をとても身近に感じる。ときには血縁関係があるくらいに見えるんだ。-- グレゴリー・コルベール

写真のなかに三次元的な感じをどの程度出せるかで、私の表現したいことが影響を受け、またその写真がどのように知覚されるかかも変わってくることはわかっていた。だから、私は深いパースペクティブを捉えたかったのだ。-- ラルフ・ギブソン

当時は写真の被写体に選ばれると皆大喜びでモデルになってくれました。一般の人で肖像権を言う人はいませんでした。写真は高価で自分で撮る機会が少なかったし、また、写真を悪用する人もいなかったからでしょう。-- 田沼武能

原理主義は、バイブルであれコーランであれ、テクストに頼り、世界を意図をもった運命として解釈する。このような解釈は、写真の物質的な痕跡を排除する。写真の意味は、大いなることばによるあらかじめの決定を乗り越えてしまう。-- スーザン・バック=モース

後で分ったことだが、私がシャッターを切ったのは、ちょうど弾が発射されたときだった。そんなこと、あの瞬間には分からなかった。やつは相手の頭部を撃っていた。ベトコン兵が倒れ込み-ああいうのは見たことがない-血が1メートル以上の高さまで飛びはねた。-- エディー・アダムス

シャッター・ボタンを押すという動作にとって、瞬間を停止させたいという欲望は本質的なものである。しかしこの動作の意味は、世界の絶えざる運動が私たち一人一人に否応なく惹き起こす並外れたフラストレーションと切り離して考えることはできない。-- セルジュ・ティスロン

写真ってカメラのために自分を用意しなきゃいけないじゃん。だけどマイク持ってロックしていれば、用意した自分じゃなくて本音の自分が出るものね。-- 矢沢栄吉

世の中にステキな写真というものは確実に存在するのではないだろうか。ではなぜそれがステキに感じられたのか。「なんとなくステキだと思ってしまった」というのがほんとうのところだと思う。-- 森村泰昌

「ひどいことをしやがったな」といいながら一枚、写真を撮った。憤激と悲しみのうちに二枚目のシャッターを切るとき、涙でファインダーが曇っていたのを、今でも脳裏のどこかに、はっきりと記憶している。一息ついて時間を見たら十時半だった。-- (原爆投下直後を撮った)松重美人

女性たち、特に若くて美しい女性たちは、そのようなデザイン行為にとって、おそらくもっとも使いやすい素材なのではないだろうか。若く美しい女性がにっこり微笑している顔の写真は、ほとんどあらゆる商品の広告に使えるからだ。-- 片岡義男

大切なのは時間をかけて撮影の対象となる人々と親しくなること。言葉や身振り、声の調子を通じて、自分が信頼に値する人間であることを人々に訴える必要がある。それができなければ、目撃者になることも、その場に居合わせることもできない。-- ウィリアム・アルバート・アラート

実在する被写体をできるだけ明瞭に、美しく撮るための適正なピントの調整、露出時間やアングルのなどではない。写真家ならぬ写真アーティストが写真を使って表現しようとしているのはコンセプトという目に見えない被写体だからだ。-- 林容子

おそらくX線写真ほど実用的なものはないだろう。しかしあまりに実用的すぎるためか、誰も写真と思っていない節がある。-- 高橋周平

カメラのアングルを全部入れ替えて女性視点にして、男性の顔をアップに写したりというふうな形で撮りなおしたとして、それで女性が同じように興奮するだろうかと考えてみます。興奮するかもしれないけれど、でも、少しちがうのではないのかな、という気がするのです。-- 上野千鶴子

人類は長い時間をかけて欲望を現実化してきた。周囲に集められた事物にはずっしりと重く欲望が付加されている。もう画面に人は必要ない。ファインダーをどこに向けても、どの断面を切り取っても、そこには人間が投影されているのだから。-- 梅宮典子

我々の時代の非人間性を表現し提示し、来るべき世界のビジョンをカメラの目の中に、そしてプリントのマチエールの中に保持しておくことは、大型か小型かの愛すべきお喋りや、デーライトフラッシュや他の黄金律などより遥かに重要である。-- エド・ファン・デア・エルスケン

もともと中国の画論からきた概念であるが、中国では花鳥を対象とする「写生」と、 道釈人物を対象とするこの「写真」という言葉が使い分けられていたものであったが、 日本ではどちらの言葉も山水花鳥人物のいずれにも用いられてきた。-- 辻惟雄

画像も、食刻法で画像を作ってから刷るエッチング、ネガを露光させ、現像してからプリントする写真、そしてまず画像をコード化し、それから表示するデジタル画などのように、2つの段階を経て作られるものが多い。-- ウィリアム・J・ミッチェル

基本的に自分が人間であるから、裸の写真というより、裸体の持つ「肉体の美しさ」や「形」に、花の写真、風景写真などと同様に美の対象としての興味がある。それゆえ女性だけではなく、男性の持つ逞しい肉体の美しさも撮っている。-- 林宏樹

もしこれが映画なら、振り返ればそこにいる。露出計を合わせ、長い腕を震わせ、シャッターを切ろうとしている彼が。その直前「いいねぇ」というような眼差しを、私に向ける彼が。そしてすべては、写真の厳粛な静粛の中に溶けてゆく。-- パティ・スミス

望遠レンズ附きの写真機が、ここでは顕微鏡の役に立つ。人間ではなくて、人間の存在を示す道路や、運河や、列車や、艀船を捕捉するにさえ顕微鏡が必要なのだ。-- アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

写真家は、その撮影時に、少しも気がつかなかった多くのものを表現しているということを、おそらくずっと後になって、写真を調べてみて、発見することがしばしばある。そしてこれは写真の魅力の一つである。-- フォックス・タルボット

美術家が描き落としたり、不完全に描いたりしたものを、写真は限りなく細心に注意し、そしてその映像は完全にする。たたかれて皮の黒くなった痕のない絵などは、なんてつまらないのだろう。-- オリバー・ウェンデル・ホームズ

技術の進歩は、科學者の努力によって著しく、たとへばゼラチンや銀の代わりに何かが使用され、非常な高感光でレンズは口徑が小さくてもよくなり、焦點の問題は解決され、現像は氣體を使用されるかも知れません。-- 安井仲治

原理主義は、バイブルであれコーランであれ、テクストに頼り、世界を意図をもった運命として解釈する。このような解釈は、写真の物質的な痕跡を排除する。写真の意味は、大いなることばによるあらかじめの決定を乗り越えてしまう。-- スーザン・バック=モース

バリー・フェインステインの写真はとても好きだった。ロバート・フランクの写真を思い起こさせるね。両者に共通する荒涼とした雰囲気がね。言うまでもなく題材のせいだったけどね。バリーが写真を撮るときのアングルが好きだったな…光と影、そういったことがね。-- ボブ・ディラン

写真は捨て難い、そこに自分や誰かが「いる」のが不気味だからだ。すべてのポートレイトは幽霊写真である、ということもできよう。けれど「自分」の写真に出会うということはどういうことなのだろう?-- 神坂洋

皆で写真を撮りあって遊んだ。全員で七人。皆が撮り皆が撮られることにすると、六人が並んでいる写真が七枚できることになる。写っていないひとりがつまりその写真の撮影者というわけになるわけだ。-- 寺山修司

生と死のあいだ、としての写真。写真は常に死を意識させる、という言い回しではなく。まだ、ともかく、ここにある、ということに対しての<生>の証拠。<あいだ>を遅延させること。-- カリン・セケッシー

写真を撮るというとき、一方では自分の内的な動機にこだわり、また一方では光学的な空間の把握ということにこだわっている自分がいるのがわかる。これを統一的に解釈するということが、問題としては考えられるが、私はそんな面倒なことはしたくない。-- 鈴木志郎康

写真の光律は、音楽のようにつぎつぎに時間的に奏でられる訳にはいかない。すなわち空間的に動くものである。それをわけもなく捕え得るということが写真術最大の長所で、時々刻々変わる光律の種々相を時々刻々撮影することができる訳だ。-- 福原信三

微妙な諧調の豊かな写真でありながら、写真としては少しも面白くないものをたくさん見ているし、また反対に、諧調は全体の画面の比較的小部分に限られていながら、本当の写真美を持っているものを見ている。-- エドワード・ウェストン

駅の人ごみを見た時、みなさんは「人がたくさん居る」と思うだろう。いっぽう、自分の卒業アルバムを見た時、みなさんの頭の中にはたくさんの友人の名前とともに、ひとりひとりの性格やいろいろな思い出が湧き出てくるだろう。この違いはどこにあるのだろう。-- 南正人

カタクリの花にとまってみつを吸っているギフチョウの姿はとてもかわいらしく、その写真はすばらしく美しい。けれど、飛んでいるギフチョウは、ただせわしく飛ぶ蝶とみえるだけで、写真から想像する「春の女神」の優美さはない。-- 日高敏隆

ユージンは"integrity"(清廉潔白であること)とそれを守るための頑固さをもっとも大切にしていました。ユージンが主張するこの信念を尊重するために、私は著作権者として(入浴する智子と母)の写真を今後発表しないと決断したのです。-- アイリーン・美緒子・スミス

モノクロームの世界こそが、自分の住むところと信じ切って、それ以外に写真は考えられないといっても過言でないぐらいに、今だに、それを主力に、ひたすら自分を賭けている毎日なのです。-- 植田正治

普通のクローム仕上げのM3を使っていれば、50歳過ぎのオヤジのそこそこの趣味に見られるのに、すぐにブラックペイントのM3なんかを持ち出して、ライカで「武装」しようとする悪い癖がある。-- 田中長徳

ゾーンシステムは科学的なコミュティでは広く認められていません。理由は、科学者たちが、正確な物理量の実験室規格と異なるとして、イマジネーションによる形なき品質に関わるこの種の写真に関心を持たないからです。--アンセル・アダムズ

ドキュメントから出発してドキュメントに帰ってゆくのが写真の世界でもあるのだと私は思ってます。だが対象への攻めの姿勢いかんによってアクチュアル・ドキュメントを生むことが出来るのではないかと思っているのです。-- 奈良原一高

その日の正午私は高田の市川さんの家でラジオを聞き、日本降伏を知った。私は善通寺の裏二階に駆け戻り、カメラを取り出し、本堂の前に飛びだして、真天井の太陽に向かってシャッターを切った。-- 濱谷浩

※このエントリーはパート1の続きですが、随時追加書き込みをする予定です。
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by twin_lens | 2010-05-16 01:47 | 写真文化
写真に纏わる言の葉を集めてみた(1)
怪我をしたり、殺されたりしている場面抜きで、ただのんびりと飛行場の周りに座ってるだけの写真では、人々に真実と隔たった印象を与えるだろう。死んだり、傷ついたりした場面こそ、戦争の真実を人々に訴えるものである。-- ロバート・キャパ

かつては自分でプリントしていた。だからネガから何を引き出せるか完全にわかっていたわけだ。けれど、もう何年も自分でプリントしていない。観察にもっと時間を割きたいからだ。-- アンリ・カルティエ=ブレッソン

直接性という魅力を取り戻すために、できるだけ単純なカメラが必要とされるようになった。写真の技術武装とデジタル化に対する反動として、ロモグラフィーが1990年代に発展した。-- ヴォルフガング・ウルリヒ

幸いなことに、私はいまだに子供だ。普通、人間というのは年をとるほど衰退していくような気がする。いつまでも無邪気で楽しい子供のままでいるように努めるべきだろう。-- ジャック=アンリ・ラルティーグ

私がかつて見たもっとも美しい景色は、暗い部屋の壁に描かれたものであった。-- ジョゼフ・アディスン(1712年)

生産停止の知らせを聞いて、日本のメーカーの技術者、とくに役職に就いていたベテラン技術者の気持ちは複雑だった。自分たちの力で日本のカメラを大きく育てたとする自負心はあったが、ライカM3を打ち負かしたという気持ちになれなかったのである。-- 酒井修一

今日では誰もが経験することだが、私はいたるところで写真を見る。写真はこちらから求めなくとも、世界のほうから私のもとにやって来る。そうした写真は単なる《映像》にすぎず、その現れ方は来たい放題(または行きあたりばったり)である。-- ロラン・バルト

金もうけへのエネルギーを写真にこめて、写真をその手段にするならいざ知らず、そうでない場合の写真とはいったいなんなのだろうか。写真を撮るとはいったいなにごとなのであろうか。-- 富岡多恵子

写真が写真としての価値で展示されることはなかった。わざわざ写真の展覧会をしようなどという人はほとんどいなかった。20年代と30年代、写真が受け入れられていたのはアメリカだけだった。-- セシル・ビートン

父(エドワード・ウェストン)はいつも身近にいて、何年もの間、一緒に旅し、一緒に撮影した。何度か同じ女の子を追いかけたことさえあった。父は私のことを兄弟と呼んだ。父と私はすばらしい仲間だったのだ。-- ブレッド・ウェストン

女らしさの原理を具体化するような芸術だけが、伝統的な表現のパターンを塗り替えることができ、陳腐な表現を避け、そこに本来の姿も見えてきた。その結果、女性がアイデンティティを求めるためには非常に厄介な手順を踏まなければならなくなった。-- シルヴィア・ボーベンシェン

私にとって写真を見せながら「語る」という行為には、対象となる写真に写されているものや状態を描出したり分析したりするための言葉を選ぶことだけではなく、語る主体である私自身のことを内省するプロセスも含まれている。-- 小林美香

ソノ写真機ハ写シタモノガ即座ニ現像サレテ出テ来ル。テレビデ相撲ノ実写ノ後デ、アナウンサーガ取口ノ解説ヲスル時ニ、キメ手ノ状況ガ早クモスチル写真ニ撮ラレテ出テ来ルノハポーラロイドヲ使ッテ写スノデアル。-- 谷崎潤一郎

(ニューヨーク近代美術館の学芸員が)言うところでは「性器があればポルノだが、性器がなければ芸術だ」。これがアメリカの歓迎の挨拶だった。最終的に私は同意した。あまりにも青二才だったのだ。-- アンドレ・ケルテス

だから光線を固定させ、あるいは殺し、あるいは誇大する写真には、この像の面影は伝えられないのである。-- 和辻哲郎

要するにね、死ぬときにどんどんあれだね、子供になっていくんだよね。おっぱいとか言ったりしてね、どんどん赤ちゃんになっていくわけだな、どんどん、ね。どういう事かツーと『センチメンタルな旅』で胎児を撮っちゃったんだ、俺はね。-- 荒木経惟

私はピカピカの真新しい1938年型のえび茶色のシェビイ・クーペを買った。それからプレスカードを取り、パトカーと全く同じ警察無線を私の車につける特別許可を署長からもらった。警察無線を持っている報道写真家は私ひとりだけだった。-- ウィージー

いいつき合いだった。キャパの前ではずいぶん気後れしたが、それはキャパがスター写真家だったからだ。私はよちよち歩き始めたばかりだった。-- ジョージ・ロジャー

最も才能に恵まれていると認めた二人の「若者」を291で引き合わせたとき、スティーグリッツはその結果を予想だにしなかった。ジョージアとポール・ストランドの間で初めてかわされた視線はたちまち情熱的な恋愛となって燃えあがった。-- ベニータ・アイスラー

暗室作業はすいぶんやるが、それは経済的な独立を失わないためだ。もちろん、あまり暗室作業ばかりやるのは馬鹿げている。暗室にいる間は町に出られないのだから。-- ロベール・ドアノー

デジカメはたしかに、見た感じ、よく写る。でもやはり、何かしら騙されてるような気分なのは何故だろうか。暗いところでもまずは写るし、手ブレも少ないし、ピントもよく合う。でもそれは、子供騙しが大人騙しになったもの、という感じが拭えない。-- 赤瀬川原平

ポルノグラフィックな写真をエロティックと感ずる人々もいるかもしれないが、ほとんどの人々は、エロティシズムをセックスにだけではなく、むしろ愛と結びつけるのであり、そして愛は、ポルノグラフィにおいては、ほとんど、あるいは全く役割を演じていない。-- ピーター・ウェッブ

私は息子のポル・ファーブルと協力して前版で非難された欠陥を埋めることにつとめた。この版は本書の研究の対象をなす大部分の登場者と場景を示す二百枚以上の写真で飾られることになる。その大半は自然の中で生きているものをそのまま写した。-- J・H・ファーブル

私自身と同じあるいはその前の世代の人々は、二度とあの紫色のセイヨウハナズオウの花びらに覆われた庭園の門前を通り過ぎることはないだろう。彼らは雨上がりのつるつる滑る玉石のボスポラス通りを下ることもないのだ。-- アラ・ギュレル

画家、写真家、映画制作者の間に、技術とアイデアの交流があった。写真が芸術家に受け入れられ、芸術の一部と考えられるようになっていたのだ。しかし私は、親しい数人を除いて、バウハウス時代孤立していた。-- ヘルベルト・バイヤー

貧窮のどん底にありながらなぜ、かれらが暴動を起こさないのか不思議なくらいだった。それがマケ犬の忍従なのか、いわゆる日本人のネバリ強さななのか、ぼくにはわからない。長い圧迫の歴史が、かれらのエネルギーをどこかに閉じ込めてしまったかに見える。-- 土門拳

礼をいって写真を渡すと、老婆は、生娘のごとくからだをくねらせて恥ずかしがる。老婆は、食い入るようにして写真を眺める。何分も、ずーっと姿勢を崩さずに見つづける。変だな、と思って覗き込むと、老婆は、写真を上下逆にして見ているのだ。-- 東松照明

幼児の視覚とは、低い位置から仰ぐのではなく、むしろそこから見下ろすものである。幼児のころ遊んだ街角へ何十年ぶりかに立って先のほうを眺めると、驚くほど近い。ところが幼児の記憶だと、それははるか地平線にとどくほど遠かった。-- 佐貫亦男

我々は模写が芸術の目指すところであると結論しなくてはならないのだろうか。写真とは、線と明暗とでもって、模写すべき対象の形を、背景の前にくっきりと、この上もなく完璧に再現する技術である。-- イポリット・テーヌ

ダゲレオタイプによる肖像をよく見てみれば、百枚に一枚も我慢できるものはあるまい。人の顔を見て、我々が驚かされたり、魅了されたりするのは、その顔形以外の何物かなのだ。機械には、我々が一目で見てとれるものを決して知覚できないのだ。-- ウジェーヌ・ドラクロワ

ボードレールにとって写真は「物事をその外見的な形によってしか判断しない、この無教養でぼんくらな階級」を激しく非難する口実となった。写真は、芸術を何も理解しておらず実物そっくりの絵を好む大衆の虚栄を満足させる手段に過ぎなかった。-- ジゼル・フロイント

"写された薩摩の人々"をみると、幕末・維新の覇気と風貌とを感じさせるものが多い。やがて明治を生きる若き志士たち、西南戦争に散った旧藩士たちも多く含まれている。-- 小沢健志

写真家は、写真雑誌が本舞台のように思ったりしています。写真のアマチュアや、写真を知らない人たちに、写真を撮るには芸術家の天分がなければならないような幻想を抱かせています。-- 名取洋之助

ヴァン・デレン・コークが高等教育と写真について簡単な歴史を書いているが、オハイオ大学がおそらく最初にこの過程を始めたのだと思う。ただしスティーグリッツが第一次大戦前のある時期に講座を持っていたらしいコロンビア大学は例外だ。-- ヘンリー・ホームズ・スミス

アッジェについて、神話をつくるつもりはない。単純な男で、1900年に写真を始めたころに普通だった素材を終生使っていた。おんぼろのカメラに安物のレンズを付け、シャッターの代わりにキャップを取って撮影していた。-- マン・レイ

ゲルダは、自分自身のためにもほとんど同じようにコスモポリタン的な別名を採用した。彼女はゲルダ・ポポリレスではなく、ゲルダ・タローと名乗ることになる。その名前はパリに住む日本人の若い画家、岡本太郎から借りたものだった。-- リチャード・ウィーラン

ゾーンシステムは科学的なコミュティでは広く認められていません。理由は、科学者たちが、正確な物理量の実験室規格と異なるとして、イマジネーションによる形なき品質に関わるこの種の写真に関心を持たないからです。-- アンセル・アダムズ

現実を写し撮ることも写真の機能の一つであるけれど、それ以上に眼の前にあるモノを写し変える作意が、写真には満ちている。モノクロームはその作意やもしくは意図が、黒と白の間に、しとやかな一条の光を呼び起こし、漆黒の影を紡ぎ出し、見えない世界をおびきだす。-- 石内都

ヌード写真の脱性化をみてみると、近代芸術は一面では性にまつわる政治学、すなわち男と女の社会的な関係を回避することであった。もちろん写真家がこうした関係を意識していたために起こったのではない。-- 多木浩二

戦前の日本の前衛写真と近代写真の動向は、1930年代前半までその実験的な活力を維持していた。しかし、やがてその活力と才能は、広告や出版という商業写真へと吸収されていく。第二次大戦後、出版界は大きく繁栄したが、野島の作品はこの恩恵に浴さなかった、-- ジェフリー・ギルバート

野島康三のアルバムに、自分の屋敷やその庭先で、梅原龍三郎、岸田劉生、宮本健吉、萬鐵五郎らの様々な作家たちと並んで写った写真が何枚も残されている。痩せて背が高く、遠慮がちで穏やかな野島の表情は、どの写真でも変わることがない。-- 光田由里

人類が成し遂げた業績--絵画や塔や発見を見る。何千マイルも離れたものを見る、壁の後ろや部屋の中に隠されたもの、近づくと危険なものを見る。男たちの愛する女性、そして数多くの子供たち。見る、そして見ることに喜びを見いだす。見て驚く。見て教えられる。-- ヘンリー・ルース

エドワードも私も共通の友人、ギリシャ人のジェーン・ヴァルダの見方に対し、もっともだと思った。この世には三つの完全な形がある。それは舟の舳先であり、バイオリンであり、そして女性の体だと好んでいうのである。-- カリス・ウィルソン

鯨たちの大きな灰色の背がいつまでも沖合で行き交っている--エイハブ船長の類は皆ずっと前に溺れ死んでしまったのだ。それはつまり、時として一枚の写真が、たった一枚の写真が「理性」を生じさせるということである。-- ドゥニ・ローシュ

フルオートカメラを操る女子高校生の写真に素晴らしいスナップが偶然紛れ込んでいたり、単なる記録のつもりで手当たり次第撮影したもののなかに予想外の奇抜なショットが含まれていたり、ましてや事故でシャッターがおりてしまったところが意外に奇妙な効果をかもしていたりする。-- 椹木野衣

ぼくは自分の写真の下手さ加減を糊塗するためにこういう大袈裟なことを言っているわけではない。下手は下手と認めた上で、なぜ人があれほど素直に写真は真を写すと信じているか、そこに関心があるのだ。-- 池澤夏樹

円形の穴は始まりです -- 出生のための原初的モチーフ、転換の場であり、象徴的に女性です。多くの古代文化の出現伝説は、先祖が最初に現れた神聖な原産地として、地球の穴か空の穴を指しています。-- エリック・レナー

明治天皇は、どういうわけか、御写真を撮影することを御嫌いになった。随ってこれまで、正面から写真をおうつさせになったことがないと承っている。従来明治天皇の御真影として、官衙学校等に汎く下賜された御写真は、実は真実の御写真ではない。-- 栗原広太

アンセル・アダムズが何かを撮影するとき、彼はその対象をただちに白黒の画像として見る。だから白黒で撮影する。私はただちに色を持った画像として見る。-- エリオット・ポーター

父は写真家を「やくざ」だと思っていたの、本当よ。「やくざな写真家になろうとしているのがわかっているのに、なぜ学校に行きたいんだ」と言ってました。ちゃんとした仕事だと思っていなかったのよ。-- イモジェン・カニンガム

確かにカルティエ=ブレッソンは並はずれています。けれど、もともと画家だったのですから。私は35ミリというのはアクセサリーだと思っています。大型カメラが復活の兆を見せているのは、面白いことですね。-- ローラ・ギルピン

視覚的芸術家のほうが、作家や哲学者よりも自由に哲学的な考えを伸ばせるように思う。鍛錬されたものではないが。写真というものは、目と心、両方を使って制作するのだ。-- マヌエル・アルパレス・ブラボ

写真家より画家、哲学者、科学者からより多くのものを学んだにもかかわらず、私は写真家以上のものになりたいと思ったことはない。なぜなら、写真というのはそういうもの--光のメディアだからだ。-- ウィン・バロック

写真のための旅ではなく、旅のついでに撮るのである。-- 若杉慧

重要な事件が起こったところからはどこからでも、写真、特電、記事が「ヴェ」に届き、我々の読者と全世界を結び付け、人の生活の広がりを「眼」に見せるであろう。-- リシュアン・ボジェル

私は彼らを悩ませたいと思ってるわけではありません。私は有名人のありのままの姿をとらえてたいと思っているのです。自然でポーズをとってない姿を。これが私の言うパーパラッチ流のやり方というわけです。-- ロナール・E・ギャレラ

ダイアンはアヴェドンの手法にひっかかるものを感じていた。彼のやり方はかならずしもフェアでないと思った。印画に修整を加えてぼかしたり誇張したりしているため、フィルムに写った有名人の顔が歪曲されることもあったのだ。-- パトリシア・ボズワーズ

海兵隊は上陸後四日間で、摺鉢山守備隊の日本軍をけちらし、山頂を占領した。ハロルド・G・シャイアー少尉率いる兵士40人は、山頂に大隊旗を立てた。硫黄島の真のヒーローたちが、星条旗に鉄の棒にくくりつけて地面に押し込んだのだ。-- グイド・クノップ

写真がゆっくり侵食され朽ちていくのは、もしかしたら「無駄を間引きせよ」という天の声なのかもしれない。この厳しく必然的な剪定はたしかに枯れ枝を削除していく。ところが、この自然の剪定は気まぐれで、我々の価値観などにはお構いなしなのだ。-- ローレンス・キーフ、デニス・インチ

我々は、写真によって、我々の時代の文化を描写する手段を持っている。ゆえに、写真に帰れ! 唯一の世界語、視覚による言葉に帰れ!-- サーシャ・ストーン

バザンの写真論的な意義は、基本的には「写真画像の存在論」に集約されていると言えるだろう。この短い論考は、写真のメディウム的な特性と写真の受容経験との密接な関係を論じるものであり、その意味で写真の根本的な問題を扱うものである。-- 内野博子

写真は、とうとうここまできた。そして、われわれもとうとうここまできた。生々しい現実からの乖離--ハイパーリアルへの離陸がそろそろ始まろうとしていたのである。-- 深川雅文

私は写真家になれるでしょうか、そうきくと、スティーグリッツは「君は恋をしたことがあるかね」そう言った。「はい」と答えると、「なら写真家になれるだろうと」という言葉が返ってきた。-- マイナー・ホワイト

近代美術館その他私が関わったあらゆる機関のおかげで様々な素晴らしい機会を与えられ、それによって写真を認めることに微力を割くことができる地位を与えられたことを、私は非常に誇りに思う。しかし、まだ始まったばかりなのだ。-- バーモント・ニューホール

奇妙なことにファインダーグラスをのぞいている時は恐いと思ったことは一度もないのです。銃を持った人が近づいてきても、ファインダーをのぞいている限り、自分が弱い存在であることなど考えもしないのです。-- ダイアン・アーバス

言葉であれ絵画であれコラージュであれ彫刻であれ、そして写真であれ、自分史的な見解を示すことは現代女性作家のメイン・テーマになっている。それは自己を追求せざるをえない流れというものだろう。-- ジョイス・テニソン・コーエン

その人は時計をちらりと見ると、時間がせまっているのかと聞いてきた。この辺りの石仏の写真を撮って歩いてるだけなので乗る列車は別に決めてないと答えると、少しは乾くだろうとヒーターのスイッチに手を伸ばした。-- 金森敦子

ヌードは、他のテーマよりも、芸術が男性のエロティックなエネルギーに起源を持ち、そこに支えられている、ということを証明しえた。時代の「種子=精子」となる作品の多くが、ヌードであることの理由である。-- キャロル・ダンカン

写真のクールさは感覚的にも確かめられる。試みに何冊も写真集を長い時間をかけて眺めてみれば、このクールさを存分に味わうことができる。これは画集では決して体験することができない特殊なクールさである。-- 鈴木和成

どうして巨大魚かだって? そりゃ写真のためだよ。大きな魚ほど写真の見栄えが良い。だからだんだん大物釣りになってしまったんだよ。-- 開高健

それにしても現在使っているカメラでは、自分がその時に感じた印象とは、似ても似つかないものがいつもできる。考えているうちにレンズの角度が、自分の眼の角度と合わないことに気づいた。-- 福原信三

カルティエ=ブレッソンのマチスその他の報道写真を突きつけられたときは、ぞっとしてすっかりまいってしまった。俺はこれを忘れていたのだ、どうしても写真の行くべき道はここにあるのだ。-- 木村伊兵衛

アカデミー派の画家や批評家たちの眼には、誰が最も罪ある者として映っているのであろう。誰が現代美術の革命家で、情け無用の水平主義者なのであろうか。写真である。-- フランシス・ウェイ

私を空にしていけば、あるがままの世界が立ち現れるというのではない。写真の「リアル」とは、私と、私が想定している「あるがままの世界」の両方を消去してしまうのであり、この消去そのものなのだ。-- 清水穣

日本人もまた真珠湾攻撃によって不具にされた人の写真を見せられることはなかった。彼らが見せられたのは、上空から撮影された壮大な勝利の光景だったのである。ちょうど我々の側が国民にヒロシマ上空の美しいキノコ雲の写真しか見せなかったと同じように。-- ジョン・モリス

僕たちは南相木川の上流にいた。渓流を歩く植村(直己)の写真をとるためだった。撮影が終ったあと、僕はフライ・ロッドを手にして上流に向って歩きだした。彼が20メートルほど離れて後についてきた。-- 湯川豊

カメラを手にして写真を撮っているときにはほとんど何も考えない。私がそう言うと、たいがい「ウソをつくな」というような返事が返ってくる。グジャグジャといろいろ考えめぐらせて撮っているに決まっている、というのである。-- 大島洋

写真が浮上しつつある。いや正確に言うとそうではない。浮上しつうあるのは写真についての言説であって写真そのものではない。-- 上野俊哉

写真的処理の本質的な道具はカメラではなくて、感光膜層である。そして特に写真的な法則と方法は、あらゆる材料によって、影響されて--材料の性質の明暗祖密に従って--起こる光線の効果に対する感光膜層の反応から生まれ出るのである。-- モホリ・ナジ

ああ小生もいいオッサンになりにける哉です。しかし写真そのものは、だんだん若くなって来ます。旗こそ立てぬシュールのエスプリも吸収してゐる積り。ややホルモンの効きすぎかも知りませんが、凡百の未完成のハン濫を冷眼して「俺が」と思っていゐる点正に雅気満点に候はずや。-- 安井仲治

私の作品には理想化されたシンボルや仮面や幻想や現実が現れます。自我と社会と、社会が期待する役割を探っていくうち、この個人的作品が現代アメリカ文化によって形成された女性に共通する側面を写しているのではないかと思うようになりました。-- ジュディス・ゴールデン

私は女たちから身を振りほどくとラコバの反対側へ走って行ったが、そこで私に気づかず、ある少女がちょうど彼女が選んだ男性の前で踊っているところであった。興奮に震える手で露出と距離を合わせると、カシャカシャ撮り続けた。-- レニ・リーフェンシュタール

ポルノグラフィはポルノグラフィ援護者の言うように、ただの人間の作る出した物、ただのシンボルではないのだ。ポルノグラフィを止めることは不可能に近いが、同時に、自由と平等を現実のものとするにはポルノグラフィを阻止することは必要不可欠のことなのである。-- C・A・マッキノン

1990年代、写真は最終的に芸術表現として確立していたが、同時にこの写真メディアは、デジタル化とコンピュータによる画像処理能力によって、発明以来最大の変化を遂げてきた。その変化とともに、根本的なパラダイム変換が起こっている。-- インカ・G・インゲルマン

写真が私の人生に影響を与えたのではなく、私の人生が写真に反映しているのだ。写真は私自身を表現する道具となった。絵画や版画や執筆以上のものがあったのだ。はじめたばかりの頃は、写真は自分自身に対する語りかけだった。-- アンドレ・ケルテス

写真を撮っている時には、その写真のタイトルのことは頭にない。撮影の最中は、観念でなくイメージを追求しているのだから、タイトルを考えるというのはおかしなことだ。-- マヌエル・アルバレス・ブラボ

写真は重要な意味を持っているので、他の気晴らしなど余りやらない。と言っても私は行うことすべての理由を理性的に把握してわけではない。それはつまり自分が明日何をしているだろうかと考えた時の答えが分っているということだ。私は写真を撮っているだろう。-- ハリー・キャラハン

私が欲しいのは、いかなる点でも安手の雑誌を想起させないようなモデルだ。その人ならではの特性を持った、生身の存在としての女性を望んでいる。そんな女性は完璧に整った体に及ばないかもしれない。-- ヘルムート・ニュートン

なんで捨てられないと感じたのだろう。それが写真だから、とりわけ自分の写真だから、に他ならないのだけれども、これは循環論法だ。でもいいや。そもそも写真は捨てにくいものなのであった。-- 神坂洋

※文字数制限を超えましたのでパート2を新設しました。
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by twin_lens | 2010-05-16 01:43 | 写真文化
HAPPY NEW YEAR 2010
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昨年は話題がやや多方面に拡散してしまったきらいがあります。今年はもう少し写真について熱く語ろうと思っています。どうぞよろしくお願いします。
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by twin_lens | 2010-01-01 00:00 | 写真文化
第3次ピクトリアリズムとストレート写真
何度かこのブログに書いたような憶えがあるのだが、写真術が生まれて間もなくソフトフォーカスが流行り始めた。後にピクトリアリズム(絵画主義)写真と呼ばれるようになったのだが、ふたつの理由があった。写真は芸術かという論争を経て、後期印象派の真似をして「芸術」たらんとした。それからディテールへ描写への拒否という感覚から流行したものだ。20世紀になって、その旗手は米国ではアルフレッド・スティーグリッツ、日本では野島康三であったが、やがてふたりともストレート写真に回帰する。
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加茂川
Nikon D40 + Zoneplate

戦後、といっても1970年代後半だが、欧州においてトイカメラブームが勃発した。後年、日本には商業主義と絡んだカタチで輸入され販売されたが、ダイアナ、ロモといったB級カメラを使った新たな表現である。そこには写り過ぎるカメラへのアンチテーゼが潜在、写真はブレていてもよい、不鮮明でもよい、という一種の芸術運動であった。別の潮流にピンホールやゾーンプレート写真があったが、私はこれらを一緒に第2次ピクトリアリズムと呼んでいる。
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永観堂
NikonD700 Nikkor70-200mmF2.8

ところが昨今、デジタル画像処理によって、さらに新たな写真表現が生まれつつある。電子フィルターによって作られる映像群は、トイカメラ写真同様、ストレート写真から離れた表現になっている。私はこれをさらに第3次ピクトリアリズムと呼ぼうと思っている。とはいえ、私がこれに染まっているわけではない。興味を持っているが、その先にある新たなストレート写真への回帰を予感しているからだ。
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by twin_lens | 2009-12-29 17:19 | 写真文化
ポインセチアは不鮮明な描写が似合いそうだ
京都府立植物園に出かけた。北門から入ると、大勢の作業員がチューリップの球根植えをしている。12月は師走というが、春待月とも呼ぶ。もうすぐそこに春がいるような錯覚に陥った。雨上がり、なからぎの森の池畔には落葉の絨毯が敷き詰められていたが、かなりのイロハモミジがまだしっかり枝に残っている。
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Nikon D40 + Zoneplate

今日から始まったポインセチア展の会場、観覧温室に入ってみた。しばらく使っていなかったゾーンプレートカメラである。絞り値はF64で、室内だけあって流石にスローシャッターを切る必要があった。便利なもので、デジタルカメラはその場で撮影データをメモする必要がない。ビュワーで見ると、ISO800、1/4秒とある。手ぶれを起こしているようだが、そもそもゾーンプレートは鮮明さを求めていないので、これでいいのだろう。
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Nikon CoolPix5700

これまた久しぶりに使うコンパクトデジカメである。購入したのが2003年6月だから、相当古いけど、ちゃんと写る。欠点はディスクへの書き込みが遅いことぐらいである。ただISO400に感度を上げたので、暗部に若干ノイズが散見される。最近のカメラならこの程度の感度ではノイズは出ないだろう。ソフトフォーカス気味だが、これは冷たい戸外から温室に入った際にレンズが曇ったからだ。真ん中の部分を指で拭い、円環状の自然フォギーフィルターもどきにに仕立て利用した。ポインセチアは誰でも知ってる植物。不鮮明に描写するのが似合いそうだ。
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by twin_lens | 2009-12-04 19:45 | 写真文化