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キャパ「崩れ落ちる兵士」に新たな火種?
ロバート・キャパの「崩れ落ちる兵士」は、現代フォトジャーナリズムにおいて最も有名な写真のひとつに違いない。1936年9月5日、スペイン内戦に従軍したキャパが、アンダルシア地方のセロ・ムリアーノ、あるいはその付近で撮影したとされるもので、銃を手にした兵士が機関銃で狙撃されて崩れ落ちる姿が捉えられている。キャパの遺品として保存されているヴィンテージプリントには、年代順に番号が打たれているが、この写真が属している作品群の番号は、セロ・ムリアーノの難民を撮った作品群のすぐ前にあるという。これがキャパが9月5日にセロ・ムリアーノにいたという裏付けになっているようだ。9月23日発行の雑誌「ヴュ」に掲載され、歴史的な戦闘写真として世に知られることになる。翌年のライフ誌7月12日号にも掲載され、キャパの名声は不動のものとなった。しかし有名になるにつれ、これは捏造、つまりポーズを取らせたものではないかという議論を巻き起こし、それは60年の長きに渡って続いたのである。
Vu magazine, 23 September 1936

しかし1996年、スペインの歴史家マリオ・ブロトンス・ホルダが兵士の名をフェデリコ・ボレル・ガルシアと割り出した。弟のエヴェリスト・ガルシアが認め、、また伝記作家リチャード・ウィーランが賛意を示したことなどから、捏造疑惑に終止符が打たれ、議論は沈静化した。ところが先週17日、スペインのエル・ペリオディコ紙(電子版)が "Capa fotografió a su miliciano en un lugar donde no había combates"(キャパの写真は戦闘がなかった場所で撮られた)という記事を載せたのである。折しも首都マドリッドの芸術宮殿でキャパ展が開催中の出来事であった。記事によると、写真は南西に50キロ離れたエスペホという町、戦闘がなかった場所で撮られたという。というのはキャパの写真の背景にマッチする山のスカイラインは、エスペホにある丘の山腹だと確認したというのである。つまり「崩れ落ちる兵士」に写っている背景はセロ・ムリアーノではないという主張である。
El Periódico de Catalunya, 17 July 2009

今週の21日、今度は英国のインデペンデント紙のアーネスト・アロス記者がエル・ペリオディコ紙の記事を「新たな証拠」として紹介した。アロス記者によると、エスペホで戦闘があったのは、9月22日と25日だけで、キャパとゲルダ・タロがセロ・ムリアーノを去ってから約3週間後だったいう。また別の証言として、9月末までは戦闘はなかったという土地の古老の談話も掲載している。これを演繹していくと、もし写真の背景からエスペホで撮られたなら、確かに演出写真だったという可能性も出てきた。しかし決定的証拠にはなっていないような気がする。インデペンデント紙はキャパの伝記作家リチャード・ウィーランの「実際に弾丸で撃たれた瞬間の人間を捉えているいるのかどうかにこだわるは、いささか病的なことであり、枝葉末節のことでもある。なぜなら、その写真の偉大さは、最終的なその象徴的な含意にあるのであって、特別な人物の死のリポートとして完璧な正確さにあるのでないのである」という主張を引用している。


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by twin_lens | 2009-07-23 09:58 | 写真文化
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