間違ってもケータイでふらふら盗撮しないでね
b0148967_133116.jpgスカートの下の劇場 (文庫)
上野 千鶴子 (著)
* 文庫: 215ページ
* 出版社: 河出書房新社 (1992/11)
* ISBN-10: 4309472419
* ISBN-13: 978-4309472416
* 発売日: 1992/11

中学生の頃、夢精やマスターベーションで汚れた下着を洗濯籠に入れることに戸惑った経験がある。洗濯は母親の仕事であり、いきなり下着は自分で洗うよ、とは言い難かった。息子の性に関し、下着の洗濯を通じて母親はとっくに承知していたに違いない。この著書の文庫版は1992年に発刊されたが、原書は1989年に単行本として出版されている。著者は新進のフェミニズム学者として京都精華大学で教鞭をとっていて、この著書が上梓された前後に何度かお会いしたことがある。それはともかくとして、本書で著者は「かくして主婦は家族全員の下着=性器を支配する」と喝破している。夫、娘、息子、下着の洗濯によって、すべての性的秘密を主婦は透視してしまうというわけだ。ところで本書を再読したのは、じゃあ、なぜ女性は下着に凝るのだろうか、といういささか男の下世話な好奇心である。

世の中には下着フェチなる男の存在があるらしい。女性の下着泥棒のニュースは後を絶たないが、その逆の話は聞いたことがない。なぜそれまでに男は女性の下着に拘泥するのだろうか。いや、拘泥させられるのだろうか。私の友人は某私立女子高校の教師をしているが、とにかく辟易とすることがあるという。つまり授業中、最前列の女子生徒がこれ見よがしにミニスカートの奥の下着をチラつかせるというのだ。ははは、代わりに授業しようかと私はジョークを飛ばしたものの、教壇に立つ自信はない。下半身を覆う下着は性器を隠すものである。いかに彼女たちが薄い布切れであっても、隠している以上、それは覗いてはいけないものらしい。ではどうして下着が見えるすれすれのスカートを彼女たちは穿くのだろうか。私の娘の解説によれば「女の子はね、ある時期しか装うことができないファッションをしたがるものなの」だそうである。
b0148967_13315195.jpg
京都・新京極通
Rolleiflex3.5F Xenotar75mm T-max400

所謂お嬢さん学から言えば、高貴な女性は決してミニスカートを穿かないと思う。ロングスカートのほうがどうみても気品があるかあるからだ。しかし娘に言わせると、高校時代はいわば一過性の青春、だから流行ってるものに飛び付くのだそうだ。その伝でいえば、ロングスカートが流行れば、それに飛びつくことになる。さらに演繹すえば「なぜ女性は下着に凝るのだろうか」という疑問にぶち当ることになる。これこそ上野千鶴子のテーマなのだが、多くの女性は、特定の男を想定して着飾るという。えっ、風が吹いて、マリリン・モンローのようにスカートを抑える、そういった光景を想像してなのかと思ったらどうやら違うらしいのである。一応イスラーム圏であるイスタンブルのイスティクラル通りの下着店のあからさまなディスプレーに驚いたことがある。女性が肌を晒すことを極端に嫌う国だが、それはあっけらんかんとした光景であったが、ひとたび身につけたら様相が激変するのだろう。間違ってもケータイでふらふら盗撮しないでね、ケーサツに捕まったら、とてもじゃないけど恥ずかしいから、私死んじゃうわよ、と娘は言う。
[PR]
by twin_lens | 2009-07-21 13:32 | 時事世相
<< キャパ「崩れ落ちる兵士」に新た... 祇園囃子が聴こえてきた >>