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![]() NikonD700 Nikkor28-70mmF2.8 仁王門をくぐり、随求堂の前に出る。石の道標があり、右が舞台がある本堂、左は成就院と矢印が指し示している。観光客の流れは当然のように右に折れて行くが、左に逸れる。すると右手の斜面に突然石像の群れが現れた。大日如来、千手観音、地蔵菩薩、そして二尊仏とさまざまである。風雪で目鼻の輪郭が乏しくなったものが多く、かなり古いものも含まれているようだ。京都は地蔵信仰が厚い土地である。各町内の大日堂や地蔵堂などに石仏を祀って地蔵盆会を営んできた。ところが明治の廃仏毀釈によってその多くが紙屋川や鴨川に捨てられたという。それでは余りにもも可哀想というわけで、壬生寺やこの清水寺などの寺院にも運び込まれたようだ。![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() Nikon CoolPix5700 やはりこれなのである。コンパクトデジタルカメラで撮ったものだが、今日撮影したものとは決定的に違う。気象条件が違い過ぎるのだ。4年少し前のこの日、雪が降り続いていた。そして瞬間的に雲が切れ、金閣にスポットライトが当たったのである。写真撮影にはよく一期一会という言葉が使われる。その通りで、このような自然条件は二度と望めないかもしれないのだ。帰り際、境内の石燈籠にミニ雪だるまが添えられていた。土産店の人が作ったのだろうか、今日の最大の収穫だったかもしれない。 ![]() NikonD700 京都市北区金閣寺町 北山鹿苑寺 ![]() ![]() ![]() 京都市東山区四条通大和大路東入ル Nikon D40 Nikkor18-55mm F3.5-4.6 ![]() NikonD700 Nikkor28-70mmF2.8 京都には病気平癒を祈願する社寺が多い。というより人間にとって一番の厄介ごとは病気あり、であるからこそ社寺を参詣して「ご利益」に預かろうとするのかもしれない。新京極通にある蛸薬師堂(永福寺)はガン封じで知られてるし、四条通の南座東にある目疾(めやみ)地蔵(仲源寺)は眼病平癒で有名である。いずれも通称寺で、正式な寺名より通り名のほうが浸透しているのが特長である。千本通の釘抜き地蔵(石像寺)を久しぶりに訪ねてみた。 弘仁10(819)年に弘法大師が開いたと伝えられ、本堂に地蔵菩薩像(釘抜き地蔵)が安置されている。山門をくぐると目に飛び込んでくるのが、本堂の外壁を埋め尽くした実物大の八寸釘と釘抜きを張り付けた御礼札である。要するに釘抜きで病気の苦しみを抜き取ってくれるというのだ。病気平癒あるいは健康を祈願する参詣者は、竹の札を歳と同じ数だけ持ち、この地蔵堂を一周するごとに箱に納めて行くのである。この日も二人のご婦人が、堂を回りながら熱心に祈っていた。![]() ![]() フォトジャーナリズムに関わってきたせいだろうか、スタッフカメラマンであった頃はネイチャー写真、特に草花を撮った記憶は余りない。一度、自宅の暗室に生花を吊るし、ドライフラワーになるまでを撮ったことがある。花は死を予感する。だから日本人は散りゆく桜を愛でる。そういった心情を踏まえながら枯れ死する花を撮ったわけだが、いわばコンセプチュアルアートで、理念先行であったことは否めない。昨日、近所の路上で枯れた野菊を撮った。 ![]() これもまた朽ち逝く花の姿である。我ながら何故このようにわざわざ汚い花の姿を撮ろうするのか不思議である。水仙のように真冬に花開く種もあるが、多くの草花は秋から冬に向かって、枯れ落ちる。それはすなわち死の姿を幻視することなのだが、前述の桜の落花とは違うような気がする。つまり散り逝く桜には潔さがある。しかるに野菊や牡丹には、その姿に生への執着を感ぜざるを得ない。では落ち葉はどうだろう。 ![]() 京都・平野神社は桜の名所として名高い。秋から初春にかけて、このように桜の落ち葉が散乱したまま放置されている。このような有機物が地表部に堆積し、それを資源として利用するバクテリアなどの微生物や土壌動物により分解されて腐葉土になる。いわば死の遺産を生への活力として受け継ぐのである。私は造園あるいは園芸といったことには疎い。しかしこのような自然のサイクルには感動せざるを得ない。人間の営みもまたこのようにして、円環状に受け継がれてゆくのだろう。 ![]() ここまで書いて自分がいささかメランコリックになっているのではと気付いた。春はもうすぐそこに来ている。しかい視界の中の草花たちは、その多くが色彩を失ったままだ。そんな真冬の寒風に耐えている花が水仙である。学名のNarcissusは「ナルシスト」の語源だそうだ。水仙を見ると私はワーズワースの詩を思い出すが、冬景色の中で生彩を放つその姿はやはり美しいと思う。今日は雨模様、家を出て道路を挟んだ所に咲く水仙を撮ってみた。朽ち果てた草花ばかりでは滅入りそうなので添えておこう。 写真はいずれも NikonD40 MicroNikkor105mmF2.8 Nikkor18-55mm F3.5-4.6
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